「父の日」一網打尽です。

「父の日」、東松山の「ひさみ幼稚園」で、父親200人に、午前と午後二回に分けて、講演をしました。

一網打尽です。
父親ばかり、一網打尽は、嬉しい。
こんなことが出来る国は、世界中どこ探しても、ない。

その、風景としての「嬉しさ」が一つ。まだ、幼児の父親たちが、ほとんどの家庭にいる。これは、半数近くが「未婚の母」から生まれる欧米では、考えられないこと。
それが、日本の、絶対的な素晴らしさ、なのです。

日本は、先進国の中では、唯一「人間らしい」稀有の国。
幼稚園で、私が一時間父親たちに話をすれば、一家の人生をいい方向に向けることができる。
父親たちが、「外堀」(そとぼり)なのです。ここで守っておけば、母親たちは大丈夫だと思う。
それが、出来る国だから、一層腹立たしいのです。いまだに、母子分離で、家庭崩壊を助長し続ける国の方策が……。

乳幼児期の母子分離を、自分の功績のように吹聴し、それを「チルドレンファースト」と東京都知事が言う。わざわざ英語を使って、日本の伝統を消そうとする。それを言わせておくマスコミが、一番間が抜けている。「それは、チルドレン ラストだろう」と誰も言わない。

父親たちに、
「この時期に、子どもたちに『人間らしく』してもらって下さい」、「親父の会で、月に一度集まって、仲良くする姿を子どもたちに見せれば、小学校でいじめが減るんだから」と、「魂の講演」をすると、父親たちが生き返ってくるのです。元々、父親たちは、いつまで経っても中身は「子ども」なので、話が早い。

その後、子どもたち(神様)と交わる時の顔が、イキイキと輝いてました、と園の先生たちが嬉しそうに報告してくれました。
峯園長、ご苦労様です。父親たちを真っ当な人間に育てるべく、よろしくお願いします
祈り、を社会に取り戻すために。

(「父の日」でなくてもいいのです。父親たちに講演させてください。とても、効き目があります。夫婦揃って、もなかなか良い。いつでも、連絡ください。matsuikazu6@gmail.com)

 

「チルドレンラスト」政策でしょう

「平等」という名の、対立へ向かう奇妙な「罠」が都知事の言う「チルドレンファースト」という掛け声の元に、広がっていく。012歳児を預かることを奨励する施策は、「チルドレンラスト」政策でしょう。

後戻りできない「教員の質の低下」は、「利便性」で人生を計るように仕向けた、あなたたち政治家の稚拙な政策の結果です、と言いたい。

こんな、コメントがチャンネルに来ました。

「従姉妹の働くママさんに、『保育園に預けた方が子どもの社会性の発達に絶対良いのに』と会うたびに言われます。」

「子どもの社会性」などと、もっともらしい言葉を使って、利便性のために「騙されたがる」親たちを増やしてしまった。

昔は、「本当に、預けていいのかい?」と、訊いてくれる園長がいた。

親たちは、園長の「人柄」と会話をしたのです。

保育士は、5歳までしか、子どもを見れない。そのことを、親は、噛み締めてほしい。

集団性とか、社会性、などと言う言葉で、誤魔化さないでほしい。家族、親子という単位で人生の土台を作らないと、その先で、出会うのは、その子の幼児期を知らない「教師」たちなのです。

こんな、手渡し方は、不自然で、「人間としては、一線を超えている」ことなのです。

 

「本当に、預けていいのかい?」

松居和チャンネル 第74回、(テーマは)「本当に、預けていいのかい?」、です。

以前は、保育園の園長先生たちが、よく母親たちに言った言葉です。保育が、「福祉」とか「サービス産業」に取り込まれる前のことです。

副題が、『昔、親たちは、園長の「人柄」と会話をした』

としました。

都議会選挙で、小池知事が、無償化とか規制緩和で、012歳児の母子分離をどれだけ進めたか、を「功績」のように言う。三歳未満児の母子分離推進施策を、「チルドレンファースト」と言うのだから、出発点から、支離滅裂で、話にならない。子どもの気持ちなど何も考えていない。横文字にしたら、進歩なんだ、みたいな稚拙な政治手法は、いい加減にしてほしい。

一緒に子どもを育て、見守っている大人たちは、お互いの「人柄」と、会話をする。社会に必要な「信頼関係」の土台は、幼児の未来を心配し、「心を一つにする」ことから、始まるのです。

だから、以前、園長たちは、「本当に、預けていいのかい?」と母親たちに問いかけた。

 

東松山のひさみ幼稚園で、父親200人、一網打尽で講演しました。

父親ばかり、一網打尽は、嬉しい。こんなことが出来る国は、世界中どこ探しても、ない。その、風景としての「嬉しさ」が一つ。まだ、幼児の父親たちが、ほとんどの家庭にいる。これは、半数近くが「未婚の母」から生まれる欧米では、考えられないこと。

それが、日本の素晴らしさ、です。

先進国の中では、唯一「人間らしい」稀有の国なのです

ショート第6弾です。

自民党TVで、三原じゅん子さんと対談した時の画像をユーチューブで見ることができます。ここまでは九年前に言ってある。

党大会の女性局、少子化対策委員会、厚労部会でも話しました。衆議院で参考人、口述人もやりました。その都度、反応は良いのに、政策には反映されない。一年生議員に講演した時は、石破さんが、私を紹介したのですが、「母子分離政策」は止まらなかった。

教師も保育士も不足し、児童虐待も、不登校児童も過去最多です。

西伊豆の保育士たちと。教育長さん、教育委員会の局長さんも参加してくれました。今年は、松崎も加わって三園です。

午前中の保護者向けの講演には父親たちも結構来ていました。一日保育士体験が、始まっているのです。幼児を大切にする女性たちは、結束力とパワーが違います。

 

(前夜の懇親会が、私の誕生日と重なりました。) 

 

現在のグローバル経済は、「貸し借り」で成り立っている。

その基本を忘れて、政治家は、平気で「母子分離」を「子育て安心プラン」と名付け、「誰でも、いつでも預けることができる」、「誰でも、いつでも『子どもたちの願い』に背を向けることができる」ことを「子育て安心」と名付けた。非常に程度の低い「経済政策」、稚拙な「罠」です。

それによって、子どもたちが「世の中」を信じなくなる。その現象がどんどん広がっている。それが、学級崩壊やいじめ、不登校、結婚しない男たちという「結果」となって現れているのです。

子どもたちからの「信頼」を失うと、市場原理は、対立し、やがて破綻へ向かう。(今、アメリカで起こっていること。)

子どもたちからの「信頼」を、取り戻そうという保育者たちの「意志」が、この西伊豆町の動きに感じられるのです。

人間社会は、一中学校区、つまり、村単位で、再構築していくしかない。それには、一つ一つの保育園、幼稚園の「心を一つにした」動きが必要です。

各園で、「一日保育士体験」が始まっています。その報告もありました。

どうしても、やろうとしない一人の親のことで相談を受けました。

「そういう親は、室町時代でもいた」と思えばいいのです」。ダーウィンの法則で、きっと何か、役割を果たしているのです、と答えます。

全員を目指し、7、8割まで達成できれば、小学校、中学校が突然、楽になってきます。親たちが、保育者や先生に感謝するようになると、子どもたちが落ち着くのです。

秋には、教育委員会の依頼で、中学生の保護者たちに、講演することになりました。一中学校区、という単位で、「親心のビオトープ」を作っていけばいい。それを、小学校入学前に、保育士体験とか、父親の会、などで整えていけば良いのです。

中学校で講演をすると、保護者たちに混じって、先生たちも講演を聴いてくれます。

そこが、結構重要です。

学校の先生たちは、乳幼児期から、長時間、自分の子どもを預けている人が多いのです。これでは、子どもたちに対する「見本」としては、本当は、本末転倒なのです。

子どもたちに「いい親」になって欲しい、と願うのであれば、先生も、しっかり、三年くらいは育休をとって、毎週一度は、学校に、赤ん坊を連れて来て、生徒たちに自慢してほしい。同僚の職員たちにも、見せてほしい。赤ん坊の「働き」を、学校に持ち込んで欲しい。

その時の先生の、「親としての顔」が、生徒たちの人生に、良い影響を与えるのです。学校で、教科書に書いてあることを教えてるよりも、もっと「大切な」、人が、幸せに生きる道筋を、先生たちの嬉しそうな顔が、教えるのです。

保育者たちの結束がきっかけになって、教育委員会にも「子どもの存在を祝う」風景が広がれば、町全体が、自然に、まとまってくるのです。

子は鎹(かすがい)ではなく、「子育て」が、社会の鎹(かすがい)。

人間社会をまとめるのは、理屈や損得勘定ではなく、「母性」なのです。

「日本再興戦略」の愚かさ / 西伊豆で誕生日😀

松居和チャンネル 第73回

(テーマ)「日本再興戦略」の愚かさ

副題:出産退職を、「経済損失」とする学者たち

この「日本再興戦略」という政府の方針が、少子化や、家庭崩壊、学級崩壊を進めた。これほどいい加減な、現場を無視した「経済施策」はない。これが、保育士不足を決定的にし、いま、来年どうするか、全く不明な、教師不足につながったのです。

出産退職を、「経済損失」と計算する学者たち。彼らには、「ママがいい!」という叫びなど、聴こえない。

「保育分野」を「新市場」と閣議決定し、「低コストのサービス」を目指すことで、産業化しようとした。そして、子どもには耐え難い、保育の「質の低下」を招いた。

一日11時間を「標準」とし、年に260日預ける仕組みです。無理を強いるほど、「質」が片寄り、どんな園長が保育園を運営するか、どの保育士が、その日の担当になるか、という「当たり外れ」が、親子の一生を左右する時代になってしまった。

ほとんどの保育科が定員割れを起こし、1週間で取得できる資格が急遽つくられて、「国家資格」の、意味さえ無くなっていった。

「国の成長・発展等への貢献を目的に」作られた「戦略」だそうです。

呆れます。

「安い労働力確保のため」とハッキリ言えばいい。

すでに「仕組み」として眼中にない政府によって、補助金を盾に、幼稚園は、保育園化するターゲットにされてしまった。必死に、その良さを訴え、延長保育も、希望者は一桁、と頑張っている園もあります。昔ながらの、幼稚園を選んでくれる親たちも、まだ、います。しかし、補助金の仕組みが、あまりにも「母子分離」に偏っているのです。

親になったばかりの若者たちに、親子の人生を考えた、いい選択ができるのだろうか。

実際は、「なんとなく流れで」長時間、預けてしまう若い親が増えている。0歳児を預けることに、躊躇しない若者たちが、増えている。

乳児を、これだけ長時間預ける、という「親の決断」が、子どもの成長や、人生にどう影響し、「利便性」に偏りがちな選択が、「コミュニケーション障害」という形で、親子関係を支配していく可能性を、彼らは、理解しているのだろうか、と心配になります。仕組みとして、危うい状況になっていることだけは、確か。

子どもたちの「ママがいい!」という叫びや、すすり泣きが、慣らし保育で「諦め」に変わり、黙ったとき、私たちは、社会に必要な「信頼」を失っていく。

子どもたちからの「信頼」が、失われていく。それが、「幼児期の母子分離」なのです。それを、社会全体が認めないと、この国から、モラル・秩序、安心が消えていくのです。

本当に日本を再興させたいなら、子育てを親に返していくしかない。

これから、親になろうという若者たちに、ぜひ、「ママがいい!」を読むように、言ってください。

Amazonの、レビューだけでも、覗くように、薦めてください。そこに、様々に、この国に起こっていることの、答えが書いてあります。

 

 

 

再び西伊豆で、保育士たちに囲まれて。午前中は、父親たちの参加も増え保護者に、午後は、教育長さん、教育委員会の局長さんも加わり、保育士たちに講演。熱気の講演会でした。動画も撮ってもらいました。議会の日程で来れなかった議員さんや、町長さんにも見てもらえるように。一般公開もOKです。

今年は松崎も加わり三園が、親たちの保育士体験に取り組んでいます。入学前に親たちと保育士の信頼関係が出来上がれば、学校がずっと楽になり、クラスも落ち着いてきます。

保育士たちの、子どもたちの将来の幸せを願う気合いに、本当に感謝です。

誕生日も祝ってもらいました。

学校を立て直すために。

中学生を保育体験へ。
中学生の「親心」を育ててくれるのは、園児たちです。やっている学校は、すでにある。
これを徹底的にやれば、教師たちも、学校に帰ってくる。
市長が決断すればできること。市長と市議会議員は、「ママがいい!」をぜひ、読んで下さい。まだ、間に合う。

私たちは、決断しなければならない

ここ数十年、幼児たちの本当の「価値」が徐々に忘れられ、「ママがいい!」という叫びに無関心になるよう、政府やマスコミが、経済優先の誘導を続けてきました。

豊かになり、選択肢が増えたのかもしれませんが、結果的に児童虐待と、不登校が過去最多になっている。保育士や教師を有資格者で確保することが、不可能になっている。

「ママがいい!」という子どもたちの叫びに真剣に耳を傾けるのか、「保育園落ちた、日本死ね!」と言う親たちの要求を優先するか、「選挙や、利権争いの枠を越えて」、私たちは、決断しなければならない。それが、この国の、道筋を決める。

いまこそ、「誰もが幸せになれる方法」を思い出すべきなのです。

 

選択肢があることが、いいこと、という概念のもとに、義務教育は普及しました。

しかし、選択肢がない、親は子どもを選べない、子どもは親を選べない、という条件が「親を」育てないと、義務教育は成り立たない。

そこに、先進国社会に共通した落とし穴がありました。

欧米で、急速に家庭崩壊が広がった「原因」と、その「結果」が、すでに義務教育の「仕掛け」自体にあった。

「自分は、一人では生きてはいない」という自覚の中で、人間は、会話をする。そして、宇宙の、ルールを体感する。

宇宙の中には、必ず、012歳児がいて、山や、川や、海、大自然が景色としてある。

その中に、「子守唄」という、不思議な役割を果たすものさえ、ある。

西伊豆で。

ありがとう。

「選択肢」がないことの幸せ

さて、チャンネル第72回は、テーマが、「選択肢」がないことの幸せ。

副題は、『育休をとった人の「同僚に報奨金!」👍』

最初に、こんな質問を、紹介しました。

「息子の時と、孫(まご)育ての時の違いは、責任の差でしょうか」。

(私の答え)

歳をとると、責任の受け取り方が、より自然に、相手の気持ちを優先するようになる。

自分が弱者になるということが、いい。

抗えない、自然の流れを理解するようになる。

子どもに対しても、結果を求めるというより、「無心に可愛がる」という方向に向かう。

「その時、その瞬間」を大切にする、境地に近づく。

自分が「いい人だ」と実感することが、一番の幸せ、だと気づく。

このまま、政府が母子分離政策を続ければ、来年、学校教育が危ない。そんな時に、子どもたちを包み込むのは、祖父母心であってほしい。

一番、いい避難場所のような気がします。

若い頃は、「選択肢」がある、ということが、悩みを増やす原因になる。

豊かさ、ゆえの「選択肢」ですが、0歳児は一人では生きられない、でも、0歳児が生きないと、人類が続かない、という、選択肢のない「仕掛け」、その「素晴らしい仕掛け」が、逆に、重荷になっている。そう、仕向けるかのように、「無償化」、「待機児童解消」、「子育ての社会化」、などという、子育てを重荷と捉えた「軽減策」が、政府やマスコミによって、語られ続けてきた。これでは、日本も欧米と同じように、行き詰まる。

そうなってはいけない。

Saya(さや)さんが、参議院選挙に出馬

ご報告です。チャンネルで司会、対談をしていただいている、(友人曰く)私の「いいところ」を引き出していただいているSaya(さや)さんが、参議院選挙に出馬します。

参政党については、よく知らないので、少し心配ですが、受かって欲しいと思っています。人の言葉に耳を傾ける姿勢が純粋で、信頼できる人です。このチャンネルで話し合ったことを、ぜひ、国政に生かしてほしいと願っています。😀

「無償化」の罠

松居和チャンネル 第71回、(テーマは)「無償化」の罠、で

副題は、『人間は、相手の「心持ち」と、会話する』、です。

・「現代の保育の無償化、授業料無償化…等々、それを子育て支援と言っている政策が、少子化に歯止めをかけることに繋がるのでしょうか」という質問が来たのです。

私の答えは、

「つながりません。それはみんな知っているんです。特殊出生率が、突然、2.5になっても、分母になる母親の人口が減り続け、男性の生涯未婚率が三割では、どうしようもない。今の子育て支援策は、それを知っていて、少子化による労働人口の減少を、三歳未満児を持つ母親を働かせ補おう、とする政策です。弱者を「人間」と見る姿勢、思いやりがない。

ただ、それでは、ますます保育や教育の質は落ちていく。落ちていくというより、人材不足の問題が、一線を越え、決定的になる」。

同時に、「生きる力」や「意欲」を社会全体が、失っていく。それが今、起こっていること。

自分が豊かになりたい、という「意欲」より、子どもの「幸せ」を願うことの方が、人類を強くしてきたのです。だから、家族という形が成り立ってきた。

次世代を育てること、が「生きる」こと、そのものだった。

「無償化」は、次世代に対する「責任」の所在を曖昧にし、結果的に、幼児たちの「存在意義」が不明瞭になっていく。特に、経済学者たちは、生産性がないように見える「幼児」たちを、重荷と位置付け、「子育てを楽にしてやれば、子どもをもっと産むだろう」という、愚策に走る。

その稚拙な「理屈」を維持するために、保育学者が「子育て」を誤魔化し続けたから、大学の保育科や専門学校が、一斉に定員割れし、潰れていった。

保育士や教師がいなくなる流れを作っておきながら、三歳未満児の母子分離を辞めようとしないのですから、学者の考えることは、どう考えても理論が破綻しているのです。

「無償化の罠」や、「女性の社会進出」という、数分考えれば、「??」と思う言葉で「洗脳」を許しているのは、「学問に対する信仰」でしょう。

以前、経済財政諮問会議の座長をしていた有名な経済学者が、「0歳児は寝たきりなんだから」と、私に言ったことがある。そこに、人間性が欠如した「学問」を感じ、寒々とした気分になりました。彼らは、日常的に幼児を体験していない。体験に基づかない「言葉」を喋っている。

子育ては「親の責任」という本来の道筋に返すこと、それに、予算を使えばいいのです。使い方は、「ママがいい!」に書きました。自民党の厚労部会でも、少子化対策委員会や党大会でも、講演しました。

 

今の、無償化は、親心を「損得勘定」に引き入れようという、政治家のやったフリ。税金を使った「選挙対策」に過ぎない。そして、子育てで儲けようとする連中の、市場原理崇拝の「罠」だと思う。

東京都では、すでに、あちこちで0歳児保育が定員割れを起こし、待機児童はほぼいない。それなのに、学校教育で教師不足が一気に進み、来年は、全国の小学校で、担任のいないクラスが現れるはず。

予期しないスピードで、コミュニケーションの「質」が落ちている。子どもたちの「心」が満たされない。親たちの「利他の心」が育たない。これでは学校教育は成立しない。

一緒に育てているのに、人間関係を「利便性」や、「利権」で計る道筋が、「無償化」です。

昔、親たちは、園長の「人柄」と会話していた。

その不自然な日常が、「いじめ」や「不登校」という形で、義務教育を通し連鎖していく。

人間は、常に、相手の「心持ち」と、会話をする。

言葉の向こうにあるものと会話する。そのことを、乳幼児期の「子育て」から学んでいたのです。

(Amazonの「ママがいい!」に対するレビューから)

「エレベーターのボタンを自分で押せただけで、嬉しそうで、満たされた顔の我が子が尊く、光のようでした。なぜ、そう感じさせるのか、言葉に表せない幸せがこの本に書かれています。」