ツイッターから補足を加え、徒然なるままに。#2、他。

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 講演の前後に園長、役人と必ず話すこの国の一番危険な状況。
 「保育士居ないですよね」
 「はい、困っています」。
 「悪い保育士、辞めさせられないですよね」園長先生の顔が一瞬顔が強ばり、ゆっくり深く頷く。認めてはいけない、しかし認めざるを得ない。子どもたちの顔が目に浮かびます。実は横にいる役所の人も知っています。園長が何度も頼んだからです。「あの保育士は現場に居てはいけに」と。でも、待機児童を増やすわけにはいきません。
 「その風景を見て、いい保育士が辞めていきますよね」じっと私を見つめる目が必死に訴えます。もう無理ですよね。

 一日保育士体験は、親に見せられる保育をする、という保育士たちの宣言です。品川の公立園長が「こういうのを待ってました」と言ってくれた時は嬉しかった。いま全国で派遣でつなぐ保育が増え、資格だけ持っていて心のない保育士を雇わざるをえない状況に現場が追い込まれています。役場から定員超えの要求がありほとんどの園で一割増の園児数。
 そして親たちの心ない批判。理にかなった批判ももちろんあります。
 あちこちで、親に見せられない保育に現場が追い込まれ始めている時、品川の園長たち、茅野の園長たちの言葉は嬉しかった。親心の喪失に歯止めをかける方向に動くことが出来れば、まだ保育士たちを「生き甲斐」でつなぎ止めることはできます。。

 茅野の園長主任と2年目に入った一日保育士体験について話合った。嬉しい報告を全員からもらいました。父親参加が3割を越え、信頼関係が出来る、モンスターが止まる。時にはこの時とばかり粗捜しをする親もいます。「そういう親は室町時代でもいたですよ」と言うと大笑い。
 「子どもが喜びますよ!」そう繰り返すことで、子どものための保育園だと親たちも気づけば、保育士たちの元気が還ってきます。

 これだけ現場を追い込む施策が続くと、一日保育士体験で生まれる親の感謝の気持ちで保育の質を保つしかない。
 子育ては技術ではない。人間が心を一つにすること。
 やがてそれが学校教育を支えることを信じ、子どもたちの、「親を育てる,人間を育てる」力を信じ、一人の園長が決心すれば出来ること。保育指針という法律に、保育参加と書いてある。でも、「子どもが喜びますよ」を繰り返す。

 午前中に茅野市長と懇談し、午後所沢の保育園で講演。市長が聴いてくれて、そのあと夕食。保育士がいない現状を話す。市長が、保育が親心を軸に老人介護までつながっていることを理解してくれるとありがたい。
 乳児が屋根の下にいるだけで、家の気配が変わる。幼児が横に座っているだけで人類はいい人類になる。それを市長が理解してくれれば、なんとかなるはず。

 富裕層、高学歴の母親が多い幼稚園の感性の鋭い主任に、保育園の保育士たちが5年前「親がここ五年一気に変わった」と言い、そして最近「親がここ五年、もっと変わった」と言っている話をしました。
 すると、「そうなんです。私も幼稚園で同じことを感じます」と主任。
 「何が変わったのですか?」と聴くと、しばらく考えて「親たちの子どもに対する笑顔の質だと思います」。うわぁ。

 十年くらい前に、母親たちの笑顔の質が変わった、と言う幼稚園の主任と色々考えてみる。
 選択肢が増え、子育てが、本能的でなくなっている? 
 父親の環境、殺伐とした競争社会が母親に連鎖している?  
 文字情報で子育てを考えている? 
 老人がまわりに居ない? 
 笑顔はある。でも、その質が違う。主任の直感がリアル過ぎて、ひやっとする。
 次の日、「親心をはぐくむ会」でこの主任の話を保育園の園長主任たちにする。一瞬、みんなの顔が凍りつく。瞬時の共感と不安、見てはいけない物を見てしまったような感じ。「それは何だろう」という分析が始まる。正体はわかっている、でも得体が知れない、そんな感じだろうか。

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 米国で富裕層高学歴両親の地域に高校生のアルコール、麻薬汚染が多い。富裕層はお金があって家庭崩壊が激しい。親たちの目が行き届かない。関心も薄い。豊かになろうとしたら、子育てなんてしていられない。義理の関係が多く、ロサンゼルスでは邸宅が並ぶ地域のパロスバルデス・ハイスクールがその典型と言われた。
 豊かさに弱い人間たち。豊かになるために子育てを他人任せにする人たち。老後をお金で買う連鎖が、淋しい子どもたちを追い込む。

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 米国で、長時間保育は子どもに悪影響しないと研究発表したサラ・フリードマン教授、日本で夜間保育を進める人たちの宣伝によく引用される。でも、サラが言うのは六時間保育、日本の十時間保育を知り「クレージー!」。
 以前、私が基調講演をした国際会議でサラと,英国、イスラエルの学者を交えて夜ホテルのバーで論争したことがあります。イスラエルの学者はキブツ保育の失敗を語りました。
 サラは、私が基調講演で話した米国の家庭崩壊の現状報告に少し気分を害していたようですが、英国とイスラエルの学者は「子どもが親心を育て、それが社会にモラル・秩序を生む」という私の説明に非常に興味を示しました。
 サラも次第に理解を示すので、不思議に思い「あなた本当にアメリカ人?」と訊ねると、「実は20歳までイスラエルで育ったの」。なるほど、と納得。

 保幼小連携、小一の壁をなくすのが目的と言われますが、本来壁はあるべきです。家族という土台があれば壁がより絆を深める、それが社会だと思います。
 絆が薄れ一年生が壁を越えられない。壁を低くするのではなく、入学前の親子の絆を育てるべきです。
 しかし現実に保幼小連携で求められるのがクラス編制の助言。あの親とあの親は一緒にしてはいけない、あの子とあの子は離した方がいい。仕方ないと思います。学校はすでに大変なんです。

 保育園は子育てですから常に子どもたちは見守られています。もめ事があれば保育士が仲裁に入り、独りでいる子には声をかけ、ところが小学校で保育はしない。入学直後の休み時間、何をして良いか解らずに困っている子がいるそうです。一日平均十時間、保育士という専門家にサービスされた子どもたちは、どうしていいかわからない。何人かは、大学を卒業しても、どうしていいかわからない。結婚して子どもが産まれても、どうしていいかわからない。そのころ保育園はどうなっているのでしょうか。行政も政治家も「どうしていいかわからない」、なんてことにならないといいのですが。

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 迎えに来ない親にしびれを切らし園に子どもを置いて帰ってしまった保育士が問題になった。保育がただの仕事になったのか、なるべきでない人が資格をとったのか。学童でも似たようなことが起こる。一緒に育てている気持ちはなく、役割り、仕事になってきている。
 子育てが社会全体に満ちあふれていたころに、普通にあった常識が消え、色んな親が居過ぎて、保育士たちにも同等に常識が消えはじめている。これが社会で子育ての正体だと思う。

 尊敬する主任保育士が私に語る。昔、主任の子の担当保育士が「主任、忙し過ぎません?」「子どもに出てる?」「はい」「ありがとうね、言ってくれて」。
 ありがたかった、と涙ぐむ。仕事が忙しくて、デレッとした母親モードに戻れない日がある。一つ屋根の下にいて良かった。信頼されてて良かった。
 (私の尊敬する園長たちの多くが、保育士たちに、子どもはなるべく一緒に園に通わせるように勧める。親子関係は一つでも深まってほしい。通園の体験を親子でしてほしい。それが考える原点。それを認めないような社会は、すでに姿勢がおかしい。)


親からのメール

松居先生: 私は、保育園民営化について調べていて、共励保育園と松居先生のサイトに辿りついた者です。長田先生が最近出版された書籍も拝読し、最近の保育園の実態を知り、本当に驚いています。

 私は保育士ではなく、5歳の子どもを保育園に預けている親です。子どもが当初通っていた民営園の方針(子どもの育ちが軽視され、親受けするサービスを優先する方針)に疑問を持ち、公立園に転園しました。

 民営園に子どもを通わせている親からは民営園のサービスの良さが評価されており、第三者評価では高い評価を得ています。利便性や親受けする行事を行うような保育のほうが、子どもの発達を支えることよりも評価されているのは本当に残念です。

 前に通っていた民営園では、夕食を保育園で食べさせてもらうために、延長保育を頼んでいる親が結構いました。また、「枠が空いていれば、仕事でなくても土曜日にあずかりますよ」「仕事でなくても連絡先が分かっていれば預かります」と、主任保育士が明言しておりました。

 民営園で兄弟で長く預けている父兄の中には、「言ったもん勝ち」の人がおりました。要望すれば何でも聞いてくれるかも、という感じで。

 長田先生の本にもありましたが、第三者評価はサービス評価であり、子どもの育ちを支える保育ができているかどうかは、別問題ですよね。







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このページは、kazuが2013年2月24日 08:20に書いたブログ記事です。

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