(「ママがいい!」に、Amazonのレビューで頂いた言葉です。)
「1歳児を持つ母親です。あんよができた時の迸るような目をした我が子、エレベーターのボタンを自分で押せただけで嬉しそうで満たされた顔の我が子が尊く、光のようでした。なぜ、そう感じさせるのか、言葉に表せない幸せがこの本に書かれています。」
これが、人類の存在意義の全てを言い表しているように感じる
(「ママがいい!」に、Amazonのレビューで頂いた言葉です。)
「1歳児を持つ母親です。あんよができた時の迸るような目をした我が子、エレベーターのボタンを自分で押せただけで嬉しそうで満たされた顔の我が子が尊く、光のようでした。なぜ、そう感じさせるのか、言葉に表せない幸せがこの本に書かれています。」
これが、人類の存在意義の全てを言い表しているように感じる
松居和チャンネル 第61回のテーマは、「一家」を取り戻そう、です。
混迷する欧米社会の、市場原理(父性的な富の探究)にシフトしていく流れの中に、人類未体験の父性と母性の闘いがある。それに、日本が巻き込まれないようにしなければ、と説明しました。
実の父親が、半数(近く)の家庭にいない欧米で、「父親像」を、求める心の動きが、バーチャルリアリティ、仮想現実の中で「利己的」になり、抑止が効かない。
歪(いびつ)な家庭観の中で、彼らは、何を、目標にしているのか。
この流れに、「自己肯定感」が、「目標」として加わると、火に油を注ぐようなもの。
父親像を体験していない男たち、シングルマザーによる支配下で育って来た男たちが、「自己」を肯定する手法として、女性蔑視、富の追求を始める。権力志向が社会(選挙)を支配するようになる。
子どもを可愛がる保育士たちは、ずっと訴え続けてきました。
政府の子育て支援は、子育て「放棄支援」なのだ、と。
祖母のような園長先生たちにそう言われ、もう三十年になります。なぜ、あの人たちの警告を、誰も聞こうとしなかったのか。
利権争いの中で、「子どもたちの権利」が隅に押しやられ、「いつでも、誰でも、預けられること」が、「子育て安心」(プラン)だと、政府が、平気で言う。感覚が、完全に麻痺している。
「子どもを知らない人に預けて、安心できる」。その矛盾した論理に、なぜ、マスコミが抵抗しないのか。
並行して、行われた、数値目標のための規制緩和が、子どもたちの日常と、保育士たちの「良心」を傷つけていったのです。
心ある保育士たちは、ここまで頑張ってきた。それが、限界を越えようとしている。義務教育の混沌を見ていると、すでに越えてしまっている。
「ママがいい!」と言う、子どもたちの願いを聞いてやってほしい。それだけで、この国は、復活、再生できるのですから。まだ、大丈夫、チャンスはある。
「ママがいい!」、再びAmazonで一位です。首長や、地方議員に読むように言ってください。
ドラマーのジョン・フェラーロから、FBを通して、この写真が送られきました。
アインシュタインが、物理学者にならなければ、私は、音楽家になっただろう。私は、しばしば音楽の中で物事を考える。というのです。
いいなあ。 自分の人生を、音楽的に考える。
(以下の映像は)私の作ったドキュメンタリー映画から、村の婚約式の場面です。私たちは、長い間、音楽や儀式や、祈りの中で暮らしてきた。これからも、ずっとそうでありたい。
松居和チャンネル第60回のテーマは、「学問は、『情緒』が大切」(岡潔)。
副題は、体験から生まれる、次世代育成力、です。
日本屈指の数学者、岡潔が「義務教育」のあり方を心配し、「成長は、遅い方が良い」と言った。
「発達に影響がないから、012歳児を『安心して』保育園に預けて欲しい」と言った東北大学の研究チームとは、真逆の視点、正反対の結論が見える。つまり、情報を得たり、何かができるようになることよりも、心の成長が大切だ、と言っている。
「人の悲しみを、自分の悲しみと、捉えること」が、「数学」にも大切で、「心配り」が学問の基本、と言う。
天才的な人、だからこそ、人間社会の、「真髄」を指摘する。(チャネラー、かもしれない。)
「教育」によって、「情緒」、「純粋直感」が失われることを心配していた。
アインシュタインも、情報が知識ではない。「体験」が知識なのだ、と言う。
(Amazonのレビューから、「ママがいい!」に。)
1歳児を持つ母親です。あんよができた時の、迸るような目をした我が子、エレベーターのボタンを自分で押せただけで、嬉しそうで、満たされた顔の我が子が、尊く、光のようでした。なぜ、そう感じさせるのか、言葉に表せない幸せが、この本に書かれています。
エレベーターのボタンを自分で押せただけで、嬉しそうで、満たされた顔の我が子が、「尊く、光のよう」。ここに顕れる幼児たちの「教え」と「伝承」を、岡潔は、数学とも重ね合わせたのです。
(もう一つ、素晴らしい感想が、「ママがいい!」に来たのです。)
私が小学生の頃、赤ちゃん大の人形が流行りました。
人形の赤ちゃんを、小学生が、お母さんのようにあやすのです。
そのうちに近所に本当の赤ちゃんが生まれて、まだ首が据わるかどうかの時に、そのお母さんが、私たちに抱っこさせてくれました。
あまりにも私たちが喜ぶので?、家に上げてくれ、その子が歩く頃まで遊ばせてくれました。今思うと、とても大切な体験だったんだと思います。
そういう体験を今の子供たちにさせて上げたいと、強く思いました。
どんな勉強よりも、大切なことが学べますね。
「あまりにも私たちが喜ぶので」と書いてある。
これが、人類の営みの全てを顕す。「喜び」が次世代育成力、となって繋がり、後押しする。
「三歳児神話」は、何万年にも渡って、人類のグローバルスタンダードでした。
1959年に、国連で採択された、「子どもの人権宣言」には、こう、書いてあった。
児童は、できる限り、両親の愛護と責任のもとで、また、いかなる場合においても、愛情と道徳的、及び物質的保障とのある環境の下で育てられなければならない。
幼児は、例外的な場合を除き、その母から引き離されてはならない。
「三歳児神話」は、今、何によって破壊されようとしているのか。そこを考えなければ、いけない。
松居和チャンネル第59回は、一人の、正直な「学者」さんの話、です。
副題は、「発達」という言葉は、海に捨てちゃえ!、で、少し過激ですが、こんな報道があって、怒り心頭の「副題」です。
『1歳未満から保育施設に通う子は、3歳まで通ったことのない子に比べて3歳時点での発達遅れの割合が少なかったとの研究結果を、東北大などのチームが14日までに英科学誌に発表した。日本では共働き世帯が増える一方、3歳まで母親が家庭で育てないと成長に悪影響があるとする「3歳児神話」が根強い。チームは「発達に悪影響はないので安心して預けてほしい」としている。』
「学問」が、「発達」という物差しを「子育て」に持ち込んだのです。
「子育て」は、子どもを可愛がること、が第一の目的で、「何かができるようになる」競争ではない。
親たちが、優しく、忍耐強くなる。その資質が自分の中にあることを「確認する」。それが、満ち足りた人生につながってゆく。多くの人が、その道筋を辿れば、人間社会は、まあ大丈夫、そんな感じのものなのです。
それを壊す母子分離政策を、「11時間保育を標準とする」と閣議決定し、パートで繋いで構わないと規制緩和し、さらに国立大学が、発達に悪影響はないから、三歳未満児を「安心して預けてほしい」と、親たちに薦めるのです。現在の保育士不足と、質の低下を考えれば、常軌を逸している。
(2012年6月12日 に衆議院の特別委員会で私が口述人をしている映像が、衆議院ビデオライブラリーにあります。当時の横浜市長や大日向教授の発言と、比べて下さい。現在の保育崩壊、税収を増やすための社会保障の出発点が、そこにあります。)
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(新聞に、いい投書があったのを引用しました)
ずっと保育科で教えていた男性が、退任して保育園の園長になり、「ママがいい!」という子どもたちの忍び泣きを聴き、どうしても、『頑張れ!』より、『かわいそうに』を口にしてしまう。という投書でした。
SNSに揚げると、一人の保育士からこんな返事がありました。
『これが本当に現実です。
保育園で、子どもが一番に覚えるのは『諦める』こと。なかなか諦めることができない子どもは、ずっとずっと泣き続ける。
どうしても『可哀想』と思ってしまう。だから保育園を辞めました。
(もう一つ、保育士から)
「正直、可哀想すぎて胸がつぶれます。
虐待のお手伝いをするために国家資格を取ったわけじゃないのにな。
預けなくて済む、ありったけを考えてやれよ。」
その反対側に、冒頭の、
「日本では共働き世帯が増える一方、3歳まで母親が家庭で育てないと成長に悪影響があるとする『3歳児神話』が根強い。発達に悪影響はないので、安心して預けてほしい」、(東北大学チーム)とぃう報道がある。この二つが、まったく響き合っていないのです。(現場と、学問が乖離している。)
「三歳児神話」は、人類のグローバルスタンダードだったことも説明しました。それが根強いから、日本は、実の父親が家庭にいる確率が欧米に比べ奇跡的に高く、犯罪率も異常に低い。その環境、伝統、そして「安心して預けられる仕組み」を規制緩和で壊そうとしたのは、国の母子分離施策です。それに加担する道筋を国立大学で、これから親になる学生に教えるな、ということ。
子どもの人権、そして「ママがいい!」という「願い」が無視され、発達を促すのが「保育」だと思っている学者が、まだ結構いるのです。保育の「質」が、その日の担当保育士の当たり外れに過ぎない、と知っているはずなのに。
私が生まれる前年に、父が創刊した「母の友」という雑誌が永遠の休みに入った。73年間、「ぐりとぐら」や「魔女の宅急便」など、名作を世に出してきた月刊誌。このタイトルで、よくここまで来た。
その時、私の本「ママがいい!」がAmazonの福祉分野で1位になっている。
意志、家業を継いだぞ、という嬉しさが密かにある。親父が笑顔で、「よろしい」と言っている気がする。😀
この時代に、どんなに頑張ったって、保育園では1対1ではないわけです。1対6とか、1対20なのです。それに、気づいてほしい。
子どもたちが要求してくる愛着関係の基本には、(一対一)「ママがいい!」という言葉がある。たった一人の「ママ」がいる。https://youtu.be/7vA796qYWFc
高校の進路指導で、進路が決まらない生徒に保育者養成校を薦める。「子ども相手だったら、大丈夫でしょ」と言われる。「専門性」などと保育学者が言っても、養成校も、早々に資格ビジネスになっていった。資格を与えるべきではない、学生に、資格を与えている。
業者と結託し100%就職を目指す養成校が現れなければ、乳幼児の安全はそれなりに確保できたはず。
政府の「保育は成長産業」という閣議決定が、保育の質を歪めていった。https://youtu.be/YTQuMXPKERw
保育で経済を活性化したい国の(無知な)思惑と、保育の意味を知らずに産業として目をつけた起業家・経営者たちの欲、親たちの「ニーズ」と「希望」、そして、一番の当事者である幼児たちの「願い」が相反する関係にあって、それを実行しなければならない保育士たちの人間性を苦しめる。