講演し、討論し、私も元気をもらいます。

鹿児島の真光こども園で、午前は保護者に講演し、午後は保育士たちと勉強会。白熱し、危うく帰りの飛行機に乗り遅れるところでした。行きは、火山の噴火で、引き返してもご了承ください、とアナウンスがありました。みなさん、よろしくお願いします。頑張る姿に、私も元気をもらいます。

鹿児島の次の日、

大田区で、ランチ勉強会。ママ友、昔のママ友、いま子育て広場の主催者、それに若い区議も加わって、2時のお迎えに間に合うように、暖かな、しかし、現在進行形の集まりでした。話の内容を、そのまま松居和チャンネルに載せたいような、背後に子どもの存在を感じながらの激論、討論でした。

その次の日、

小石川白山教会礼拝堂で、愛星幼稚園の保護者たちに午前講演し、保育者たちと午後勉強会をしました。

午前は、一般公開だったので、遠くからも足を運んでくれる方たちがいました。どこへでも、呼んでください。今、種を蒔き続ければ、きっと良いことがある、そう信じて頑張りましょう。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com までどうぞ。

 

『抱っこは、する側と、される側の「共同作業」』

松居和チャンネル 第70回、の(テーマは)『抱っこは、する側と、される側の「共同作業」』

です。

福祉を考える時、その手段や、「仕組み」には予期しない反作用がある。

だからこそ、人間たちの「心の動き」の中に、常に、「幼児たちの願い」が存在していなければいけない。

 

抱っこされるのが、下手な赤ん坊が増えているのです。抱っこは、する側と、される側の「共同作業」。抱きやすい子は、上手に、しがみつく。子猿が、四つ足で歩く母猿につかまる名残りが、人間にもある。

ちょっと、不思議な話ですが、抱っこされることに慣れている赤ん坊は、抱っこされにくい形をして、抵抗する。抱っこされてきたから、出来る、将来、必要な「技(わざ)」。

抱っこしても、ぐにゃーとする赤ん坊が増えている。抱っこされてなかったから、協力しない。本能的な「共存」を学んでいない。若い保育士は、気づかない。そんなものかと思ってしまう。でも、ベテランの保育士や園長たちは、気づくのです。これでは、保育士が疲れてしまう。

可愛がられることに、慣れていない。

それが、小学生の学級崩壊、不登校の増加に、つながっているのではないか。男の三割が「一生に一度も結婚しない」、ところまで影響している気がする。

ぐにゃーとする0歳児、1歳児が増えることが、将来、人間社会における「絆」の成り立ち、福祉や義務教育、社会という仕組みの存続に、どう影響するのか。私は、考えてしまうのです。

「ママがいい!」という言葉は、母親にとっての「勲章」です。

0歳、1歳の時の肌を合わせた体験が生み出す、「人類を、祝福する」言葉。

それを言わない子ども、抱っこの体験が足りていない子どもが増えている。

「保育園落ちた、日本死ね」という言葉が、もっと預かれ、という社会的論争に使われたことがある。まるで、正論のように。母子を引き離す仕組みが、充分でないことが、国会で、「良くないこと」のように見られていた。

これが、すでに怖いことなのです。

幼児は、「保育園落ちた、万歳」と、心の中で言っていたかもしれないのに、誰もそれを考えなかった。

政府の進める母子分離政策は、そこまで浸透していた。

 

保育園では、肌を合わせる機会が、1対3(三分の一)、1対6(六分の一)、1対20(二十分の一)。その仕組みが、「子育て支援」という名で呼ばれる。異常な論理が罷り通っている。

幼児期の不自然な体験が、そのまま小学校へ入学し、そこで、五歳までのその子の「成長」を知らない「担任」に委ねられる。双方向への体験に欠ける「子育て」が、「教育」にすり替わっていく。

そして、児童虐待過去最多、不登校も過去最多、一生に一度も結婚しない男が、三割、という数字になって現れる。

こんな、メールが来たのです。

 「保育士さんの相談に乗りますが、その相談の中でも子どもを抱かないで。と言われる事への辛さを言われる方がいます。

 一人の保育士が抱くと他の保育士も抱っこしないといけなくなるから、と言う理由だそうです。驚きました。

 愛着形成のこの時期に、そんな事を言うなんて。

 それが何件もあるので、子どもの育ちに胸を痛めます」

 

一人のベテラン保育士が、「子どもの育ちに胸を痛め」ている。そのことに、親たちが、気づいていない。保育学者が言う「専門性」の実態が、そこにある。

一緒に育てている人たちの、「思い」が重ならない「仕組み」が、子どもたちの「日常」になってしまった。母子分離を進める政治家たちも、経済を優先し、「欲の市場原理」に振り回されている「学者」や「評論家」たちも、それを知らないのだろうか。

保育学者たちは、もちろん、知っている。

実習に行った学生たちの報告には、必ず、これに似たことが、書かれている。彼女たちの持つ「動機」は、子どもたちの幸せを優先しているから。

彼女たちが現場で目の当たりにする「母子分離」に対する率直な「違和感」を、「教授」たちが無視し、「学問」から、「感性」や「人間性」が消えていった。

(学生が答案に、「子どもはなるべく親が育てるべきだ」と書いたのを、不合格とし、「もっと勉強するように」と書いた有名大学の教授がいた。いい学生の心を、学問が踏み躙るから、全国で「保育科」が定員割れし、潰れていく。)

この時期、1週間抱っこされなかったり、話しかけられなかったら、それはもう虐待です。

それを数値目標を上げ奨励する「子育て安心プラン」や、発達にいいから「安心して三歳未満児を預けろ」と言う東北大学の研究発表などは、政治や学問による、虐待です。

 

輝かない幼児たちの願いが、届かない

30年も前から、毎年春に、日本国中に「「ママがいい!」という叫びは、満ちていたのです。それを保育学者が「専門性」などという言葉で誤魔化し、マスコミが「女性の社会進出」などという、経済競争しか「社会」と見なさない狭い了見で押し殺し、政府は、幼児の気持ちを無視することで、選挙に勝とうとした。

現場の保育士たちだけが、心を痛めてきた。そんなことが長続きするわけがない。

 

 

想像力が無ければ輝かない、輝かない幼児たちの願いが、届かない。

012歳児とゆっくり過ごす時間が、無駄だと言う、損失だと言う学者たちの作る罠みたいな仕掛けで、人間を育てる小さな人たちが、諦めてしまう。「ママがいい!」という叫びが、その価値を失っていく。

いい加減に、この人たちの価値に気づいてほしい。

 

 

保育界の限界は、すぐに小学校の限界となって、それが、福祉の限界、司法の限界となっていく。

スエーデンの犯罪率が日本の20倍、という現象を、人類に起こっている人間性の崩壊と捉えれば、私たちは違う道筋を選ぶべきなのです。この国には、チャンスがあるのです。

世界の情勢と、父親像、母親像

松居和チャンネル 第69回のテーマは、

「世界の情勢と、父親像、母親像」

副題が。「自己肯定感なんて、海に捨てちゃえ!」です。

世界を眺めると、自分を肯定しようとする乱暴者、いじめっ子(Bully)が、「市場原理」に便乗し、人間社会を支配しようとしている。人間性が問われる前に、支配する「能力」で評価される社会的風潮が、弱者を苦しめている。

その波に、日本は、呑み込まれてはいけない。

多くの人が、子育てを「優先」するから、モラルや秩序は保たれる。

自己を肯定する前に、子どもを優先する。その古(いにしえ)のルールが生きている国なのです。

先進国で唯一、子どもが生まれた時に、ほとんどの家庭に「実の父親」が存在する国。男たちが「幼児」によって育てられる「機会と可能性」を持っている「国」。

家庭に、父親が含まれている、この究極の「インクルーシブ」、「常識」は、欧米社会が望んでも、もう手に入れることのできない、再生不能な「安心、安全」でもあるのです。

人生を損得で測ってはいけない。数年間、幼児を育てながら、人間は、「利他」の幸福観を身につけていく。欧米人が憧れる、日本の「空気感」が、幼児を眺める「静けさ」の中に、ある。だから、辛うじて、学校も、まだその体(てい)を成している。

家庭での「読み聞かせ」と、園での「保育者体験」。この二つだけでいい。それで、この国を守れる。

(一般公開の講演会です。ぜひ、ご参加ください)

「ママがいい!」、ぜひ、ご一読ください。

素晴らしい、仕掛けです

人間は、一人では生きられない。

これほど、見事な「足かせ」はない。

素晴らしい、仕掛けです。

自然に、嬉しそうに、その仕掛けの一部になれば良い。

言葉を超えて、「心持ち」を感じる力を養い、助け合う。

その種類のコミュニケーションの、「入り口」にいるのが、0歳、1歳、2歳児たちです。

この人たちとの会話が、人間を、導いてきた。やがて、海や、山や、川とだって、話ができるようになる。

橋本武夫先生とジョイント講演会 7月5日、鳥栖

 幼児の発達心理の重鎮、橋本武夫先生とのジョイント講演会です。
 一般参加もOK、無料です。申し込みが必要です。
 フロアディスカッションもあり、とても楽しみにしています。ぜひ、ご参加下さい。
7月5日、午後一時半、会場はサンメッセ鳥栖。
【主催】 社会福祉法人若楠,【後援】鳥栖市/鳥栖市教育委員会

ほんとうに、預けていいのかい?

こう言う会話が日常的に行われていた時代が、あった。人類の歴史にとっては一瞬でしかない、分岐点が、そこにあった。

それ以前、人間は、主に「人柄」と会話をしていたのだと思う。時に、子育ては、そういうものだった。

欧米型の市場原理は、形を変えた「侵略」です。

欧米の「家庭崩壊」は、父親の責任放棄から始まっている。アメリカで四割、スウェーデンでは六割の子どもが未婚の母から生まれる。

日本の政府が、母子分離政策を止めないから、本来の父性、優しさや忍耐力を、幼児たちを使って耕してほしい、と、園長先生たちに、「父親の保育体験」を、お願いする。しかも、早いうちに、一人ずつ、八時間。(幼稚園は、五時間?)「

この状況で、男たちが「子育て」から逃げれば、欧米の二の舞になる。日本でも、三割の男が一生に一度も結婚しないという数字が出ている。それを見れば、もはや逃げているということ。

福祉や教育という「仕組み」では、絶対に負いきれない「責任」が、宙に浮き、「母性」さえも脅かされ、働かなくなる。

この国は、愛するに値する、「利他」の伝統を持った国です。

人間の脳が出来上がる、012歳までの子育てを、特別に、大切にしてきたからです。

先人たちが作り上げた、「調和と美しさ」を守らなければいけない。

欧米型の市場原理は、形を変えた「侵略」です。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com まで、どうぞ。

日本の底力

火曜日です。

松居和チャンネル更新の日です。

第68回のテーマは、「血のつながる父親がこれほど家庭にいる先進国はない」。副題が、真の「国防」とは。

にしました。

この国は、まだ「家庭」が主体になっている。人生において、子育てが、優先されている。

「女性の社会進出」という言葉が現れたように、「社会」の定義が、突然、あやふやになってきました。「社会進出」という言葉が使われる時、乳幼児たちの役割りや、「願い」が含まれていない。これでは、「社会」が根っこから崩れていく。

血のつながる父親が、これほど家庭にいる先進国はないのです。

これが日本の底力。まだ間に合うかもしれない。この国は、人類を先導する、可能性がある。

学者やマスコミは、この国を、しっかり見極めてほしい。大事にしてほしい。1対20で、「子育て」ができるなどと、無責任なことを言わないでほしい。

何より、政治家たちに、真の愛国心を求めたい。

社会の最小単位である「家族」を、母子分離政策で壊す、それを与野党とも支持しながら、一方で、国防を言っても、そこに「絆や、信頼関係が育つ」という、国を形づくる「道筋」の本質が欠けている。

まだ、可能です。この国を耕すのは。