「子育て」は、人生の幅を狭める?」 政府が、言うなよ。

松居和チャンネル 第107回、

(テーマは)「子育て」は、人生の幅を狭める?」 政府が、言うなよ。

副題: 保育を「新市場」と定義した、稚拙な経済学者たち

「子どもの未来戦略」というのを、こども家庭庁が作った。そこで、

「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、と宣言した。

世間を知らない経済学者や、「0歳児は寝たきりなんだから」と私に言った経済財政諮問会議の座長が言うなら仕方がない。だが、

「政府が、言うなよ!」。

仕組みを変えることで、政府は、親たちの「子育て」に対する意識に、影響を与えることが出来る。

政府が、「人生の幅を狭める」原因とした「子どもたち」も、社会の一員であり、国民のひとり。この国の成り立ちに、大切な役割を担っている。そんなことも理解できない政治家たちは、海に捨ててしまえ、と思う。

政府が、「いつでも預けられば、親たちが夢を追いかけることが出来る」と言う012歳児は、人間たちを人間らしくする、という天命を持った人たち。「投票できない」からと、その「願い」を踏み躙るようなことを、政府が「子どもの未来戦略」と言うな!

 

私は、幼稚園、保育園が、「親心のビオトープ」になってほしい、この国を建て直す道は、それしかない、と言ってきた。

そう願う「保育者」とは別の次元に住んでいる人たちが、「サービス産業」「市場原理」の名の下、保育界に土足で入り込んで来て、保育の「魂」を売り買いする。それを政府の規制緩和や、ビジネスコンサルタントが煽っている。

その中心に、平成25年の

「保育分野は、『制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野』」(「日本再興戦略」)

という、馬鹿げた閣議決定がある。

現在の学級崩壊、学校崩壊、不登校児の急増や致命的な「教師不足」の加速が、この「新市場」を求める「母子分離」から始まっている。

「キャリアと子育ての両立」など、できるわけがない。子どもの側からは、母ちゃんがいたか、いないか、でしかない。

子どもが、「ママがいい!」と言ったら、その先に居るのはたった一人のママ。誰にも代替えはできない。「専門家」に、その「願い」を叶えることはできない。そういう「当たり前のこと」を、こども家庭庁が、「誰でも通園制度」と言って、忘れさせようとする。

「子ども真ん中」とか、「チルドレンファースト」とか、言って、誤魔化す。

012歳の母子分離は、絶対に、正当化できない。

保育の質を、真剣に親たちが問えば、儲けるために参加したサービス「業者」たちは、続けられない。保育士が足りない、養成校も定員割れ、派遣やパートに頼るしかない状況なのです。その「業者たちの損失」を軽減するために、延命策として「誰でも通園制度」に莫大な税金が使われる。そして、「質の悪い保育」をされた子どもたちが、小学校で教師たちを一層追い詰める。

その悪循環を、どう止めるのか。

年に一日でいい。保育園・幼稚園に親の保育士体験を義務付け、「いつでも、親に見せらる保育をする」という、最低限の「風景」を取り戻していくのが、いい。

県や市町村単位で、やっているところもある。(松居和チャンネル 第5回 「幼児が人間性を育てる。これからの幼稚園、保育園の役割」を参照してください。)

そして、012歳児は、それを望むのであれば、親が育てられるようにする。「ママがいい!」という子どもたちの「願い」を、社会全体が、「常識」として尊重する。「子どもの最善の利益を優先する」という、保育所保育指針、や「子どもの権利条約」を守ろうとするだけで、この国は立ち直ってくる。

11時間保育を「標準」と名付けた国の施策は、あまりにも乱暴で、無責任。それが、保育界の「信頼関係」を壊してしまった。まずは、それを撤回することから、始めるべき。それが出来ないなら、義務教育を立て直すことはできない。

そして経済界、つまり「雇用側が」、母子の願いを優先することで、「子育て」を支援すること。それが、この国の将来の「経済を守る」ことだと、早く、気づいてほしい。

 

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「保育は成長産業」という閣議決定で、この国の土台が崩れていく

松居和チャンネル 第106回は、

(テーマが) 「保育は成長産業」という閣議決定で、この国の土台が崩れていく

副題が:「保育園を、投資物件にする愚かさ!」です。

「保育」に関する閣議決定は、親たちの「子育て」に対する「意識」を変える影響力を持っている。端的に言えば、乳幼児と過ごす時間の絶対量に、直接的に影響する。

2000年代初頭、日本では、幼稚園を卒園する子どもの方が、はるかに多かった。幼稚園が一つもない自治体が二割あったことを考えると、7割以上の親たちが、3歳までは自分で育てる、という選択をした。

「年少組」、3歳児の人数が少ない理由を園長先生に問うと、

「年少ではまだお母さんが子供を離したがらない」と言っていたのです。乳幼児と過ごす時間の絶対量が、今に比べて格段に多いことが、国全体の「子育ての常識」を整えていたのです。

それが、たった20年で、0歳児を「躊躇せずに預ける親」が、日常の風景になっている。

「経済」を優先した「閣議決定」が、規制緩和や無償化によって、012歳の母子分離を急速に進め、その結果、たった20年で、義務教育を、再生不能まで追い詰めてしまった。

どこへいっても不登校児が一割で過去最多。グレーゾーンと言われる子どもも増えている。加えて、教師不足は、その質を問うどころではない。退職した元校長先生に小学校の担任を依頼するなど、過去最悪の危機に瀕している。

総理大臣が、あと40万人保育園で預かれば、女性が輝く、と国会で言った時の待機児童は2万人。つまり、あと、38万人待機児童を増やそう、というのが、国の「子育て支援」だったのです。

(東京のある保育園の園長から、こんなメールが来ました。)

『東京の保育所では、だれでも通園制度に協力すると、大きな補助金が出るのですが、区と同様にキッパリお断りしました(笑)

事業の趣旨は良く分かりましたが、完全に定員割れ施設への補填事業だということが理解できました。つまり、行政あげての、「子どもが金になる木」なのです。』

一方で、「保育園経営が上手くいかずに閉園を考えている方、どこよりも高く無料査定いたします」というチラシが、幼稚園の郵便箱に投げ入れられる。

「保育は成長産業」、「制度の設計次第で巨大な新市場」という間の抜けた閣議決定で、保育園が投資物件のように売買されるようになったのです。

幼稚園、保育園の中身、「価値」は、保育する人たちの人間性と人間関係であって、単純に売買、譲渡できるものではない。

年月を掛けて築かれた信頼関係、子どもと過ごすやり方、伝統がどう保たれていくか、それが親や子どもたちにとっての「園の実態」なのです。

売買で儲けようとするコンサルタント会社や経済学者は、そんなことは知りもしない。経済財政諮問会議も、同友会も、「012歳の存在意義」をわかっていない。

「子育て」は、お金で換算できるものではない、「保育」は、無料査定できるものではない、それが、市場原理で動く連中には、わからない。

保育界に、こうした連中を土足で招き入れたのは、保育を「サービス産業化」するために、規制緩和を重ねてきた政府の方針です。だから、いい保育士も、園長、主任も、辞めていった。学校も、教員の成り手がいない。

保育者たちが「市場」に晒されている様子が、私には、悲しくもあり、腹立たしくもあるのです。

国の「子育て支援」策と同じ。「ママがいい!」という言葉、そして「母性」が、この国を維持してきたことを、まったく理解していない。

「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。

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子どもの成長に必要なのは、安心できる「風景」

保育士による虐待が頻繁に報道される。された子どもの後遺症は勿論ですが、見続けた子どもたちの人生も変えている。そのことを忘れてはいけない。
子どもの成長に必要なのは、安心できる「風景」。
(関連動画)
【第9回】松居和チャンネル
ちくちく言葉の破壊力
それに立ち向かう「詩の力」
https://youtu.be/rJ8jEo6JdWA

専業主婦という言葉は、学者が作ったもの

松居和チャンネル 第105回

(テーマは) 専業主婦という言葉は、学者が作ったもの

副題は: 人生が変わる「「担任」の当たり外れ」

「専業主婦」という言葉は、100年前存在しなかった。

学者が作った言葉で、それが、社会的損失のように言う経済学者さえいる。

(「出産で退職する女性は年間20万人。経済損失は1.2兆円(第一生命経済研究所)」)

「女性の社会進出」という言葉、これも、100年前にはなかった。「社会」の定義が、曖昧で、恣意的です。お金を稼いでないと、社会の一員ではないかのように、言う。そこに、親たちの「子育て」に対する意識を変えようとする、悪質な「罠」がある。

90年台後半まで、九割の母親が、「自分の子どもは、3歳まで自分で育てたい」、と言っていた。それが、ある時期五年間くらいで、一気に六割に、落ちてしまった。市場原理におけるネズミ講のネズミを増やそうとする、政府やマスコミの誘導があったのです。「子育て」という、全員が体験しなければいけない、遺伝子がオンになるプロセスが後回しにされ、「経済で考える連中」に、「仕組み」を仕切られていった。

(こんな、メッセージが来た。)

48歳女性です。

小学校1年から4年まで、運悪く暴力的な担任に当たってしまい、当時の怖い記憶は、今でもPTSDとなり残っています。

不登校できるものなら、したかったですし、死んで逃れることができるなら、死にたかったです。

当時は不登校は許されない社会でしたし、「死」が身近に無かったので、死を選ぶ考えに至りませんでした。

今の子は不登校という形で逃れられるだけ幸せです。

小さい頃から共働きが当たり前なのを改善することで、問題の多くが解決されていくのではないでしょうか。

48歳の女性が、暴力的な担任に当たったことで、いまだにPTSD(精神的後遺症)を抱え、苦しむ。

その時、「死」を意識した人が、「今の子は、『不登校』という形で逃げられるだけ幸せです」と言う。

その通りだと思う。

不登校にしてくれる「親」がいるのは、いい社会。国が、教師の質を整えられないなら、親は、「不登校」という形で、子どもを守るしかない。

本当は、義務教育が義務である限り、運悪く、暴力的な担任に当たることを、小学校では「許さない」という「形」を、国が、整えていかなければいけないのです。

なぜ、それが出来ないか。

乳児を持つ母親の八割を働かせようという、不自然な「母子分離」政策が、その根底にある。それが国の政策である限り、児童虐待過去最多も、不登校児過去最多も、止まらない。

11時間保育を「標準」とする母子分離の不当性は、国連の、「子どもの権利条約」にも、書いてある。

「誰でも通園制度」の対極に、「ママがいい!」という子どもたちの叫びがあることを、忘れないでほしい。

政治家や政党にお願いしたいことは、三つ。

保育体験を国のスタンダード、親たちの「義務」にしてほしい。年にたった1日でいい。保育者たちとの一体感、信頼関係をつくる日を設けないと、学校教育は、ますます諸刃の剣になっていく。

次に、政策としての「母子分離」は、すぐにでも辞めてほしい。特に、012歳の母子分離は、あまりにも不自然で、愛着障害の問題、そして保育士の質を考えると、取り返しがつかない状況を生んでいる。

その日、保育士に何をされたか、親に言えない人たちを、規制緩和で保育を破綻させた「政府主導の仕組み」に任せてはいけない。

もう一つ。小学校5、6年生から、高校を卒業するまで、年に三日間くらいは、保育体験をさせてほしい。砂場の砂で幸せになれる幼児たちを真似ることが、人生の道筋になるように、子どもと過ごす時間を「楽しい、嬉しい」と感じるような体験をさせてほしい。

(「ママがいい!」を、ぜひ読んでみて下さい。よろしくお願いいたします。)

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私の作ったドキュメンタリー映画、シャクティの上映会

シスター・チャンドラと出会い、シャクティの踊り手たちを追いかけ始めなければ、私は一生に一度もドキュメンタリー映画を撮ることはなかった。そう言ったらシスターは「God’s Will」(神の御遺志です)と笑って答えた。
インドという国の圧倒的な存在感と風景、そして静けさは、私に様々なことを教えてくれた。いまでも、教え続けている。日本で、保育や教育の問題、子育ての意味について考え書き、0歳児の役割について講演している時に、私は時々原点に還るようにシャクティの風景を思いだす。人間が長年共有してきた次元や意識がその中にある。
そして、繰り返し考える。「人間はなぜ踊るのか」。

 

 

一つ一つの講演会が、出会です。

武蔵野市立0123はらっぱ は、30年以上前、まだ多くの子どもが幼稚園に行っていた頃、親子で一緒に遊びに来る施設として作られました。いい施設で、最後の砦のようですね。未就園児の親子のためにつくられ、その活動がまだ続いています。ここで踏ん張って、0123歳は、親子の時間をしっかり取り戻していく方向に、向かって欲しいです。
サイン会の時、私の指を掴んで離さない子がいました。おじさん、頑張るよ、と心の中で言いました。

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「ホームスクーリング」という道筋

松居和チャンネル 第104回 (テーマは)「ホームスクーリング」という道筋。副題が: 学校教育を選ばなかった母親の手記。

ホームスクーリングで、13歳の息子を自分で育てている母親から手紙が来ました。幼稚園にも、保育園にも行かせなかった、というのです。

私は、義務教育と福祉の普及によって起こる「子育て」に関する意識の変化、その危険性について、四十年間言い続けてきました。

その人類未体験の母子分離の「流れ」に抗うように、「ママがいい!」を読んだ母親から、「手記」が届いたのです。

その決意は、先進国が「人間性」を取り戻す、出発点のような気がしました。子どもたちの、「ママがいい!」という叫びに耳を傾ける、最後のチャンスかもしれない。

ホームスクーリング。

子どもを学校に行かせず、親が、教え、育てる。

アメリカでは、半世紀前から始まっていますが、宗教的理由が主でした。義務教育で教える「ダーウィンの進化論」が、聖書の説く「アダムとイブ」と矛盾するからです。それが今では、「学校が、安全ではない」、「他の家庭の『家庭観』に影響されたくない」という理由で、70人に一人がホームスクーリングになっています。

(自治体が、ホームスクールコーディネーターを用意し、援助もする。松居和チャンネル第91回を参考にして下さい。)

日本でいま、増えていく不登校児をどうするのか、という問題が、完全に後手に回っています。児童館、学童、放課後デイなど、学校を補完する仕組みは様々にあるのですが、どれも人材不足。加えて、それで儲けようとする「業者」たちの欲によって、質の部分が骨抜きにされている。それが、「学校」をさらに追い詰めている。

出版社に来た手紙には、

「ママがいい! 」(~母子分離に拍車をかける保育政策のゆくえ)を紹介させていただいたことを事後報告となり、申し訳ありませんがお伝えさせていただくと同時に、著者の松居和様に、心からのありがとうの気持ちを、お伝えできたらと思っております。

とありました。

そして、「手記」の中にも、こう書いてありました。

(本) 「ママがいい!」

「今でも、深く問題提起を投げられている本

読む人の立場によって、さまざまな受け取りがあると思うけど、私が保育園で働いていた時に感じていたことが言語化されていて、あらためて当時の経験をふりかえる機会となった。

そして自分の子育て、保育園、幼稚園を、本能的に選ばなかったことも、腑に落ちた。」

夫との話し合いで、夫婦で納得しての決断だったこと、が手記には書いてあります。

幼稚園、保育園から、中学校まで、学校を拒否した娘と、孫の成長する姿に、おばあちゃんが、納得したことが大きかったと思います。おじいちゃんは、まだ納得していないようです。

嬉しいのは、教育委員会が、協力的だったこと。

教育委員会は、今の学校の状況に、自信を失っているのでしょう。自分で育てる、と決意した母親の姿が、眩しく、将来の道筋を考えた時に、心強く思ったのかも知れません。