幼児を扱う「作法」を、仕組みを動かす政治家や専門家たちは忘れてはいけない。

2019年3月

先日、福岡の300人規模の40年続いている認可保育園で、日常的に行われていた保育士たちによる園児虐待が報道されました。待機児童をなくせと安易に叫ぶ以前に、保育園における現実と実態を、幼児たちの安心のために把握し対処してほしい。

28年前、まだ保育士が保母と呼ばれていた頃、すでに「保母の園児虐待―ママ たすけて!」という本が出版されています。私が、親の一日保育士体験(年に一日8時間、親が一人ずつ園で幼児たちに囲まれて過ごす)を広めようとし始めたきっかけになったのが、15年前に「実習先の園で、保育士による虐待を見る」という保育者養成校に通う多くの学生たちからの「内部告発」でした。これは、すでに法律で取り締まることができる種類の問題ではない。一線を超えている。あってはならないこの問題にブレーキを掛けられるとすれば、保護者と保育者が一緒に「子育て」しているという実感を取り戻し、信頼関係を築き直すしかない、と考えたのです。一日保育者体験はある程度の広がりを見せていますが、まだまだ先は遠い。いつでも親に見せられる保育をする、これが保育の基本だったのです。最近増えてきた密室型の小規模保育施設まで広めるとしたら、条例で保育所の義務とするしかないでしょう。

告発できない3歳未満児は、最新の注意を払って絶対に守られなければならない。優先的にそれをしないと、義務教育の存続に関わる問題になってくる。

(参考)

保育士の虐待「見たことある」25人中20人 背景に人手不足、過重労働…ユニオン調査で判明:https://sukusuku.tokyo-np.co.jp/hoiku/8494/

幼児を守ろうとしない国の施策。ネット上に現れる保育現場の現実。 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=2591

主任さんの涙 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1983

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5年前、2014年8月、千葉市の認可外保育施設で保育士が内部告発で警察に逮捕される事件がありました。

 「千葉市にある認可外の保育施設で、31 歳の保育士が2 歳の女の子に対し、頭をたたいて食事を無理やり口の中に詰め込んだなどとして、強要の疑いで逮捕され、警察は同じような虐待を繰り返していた疑いもあるとみて調べています。

警察の調べによりますと、この保育士は先月、預かっている2歳の女の子に対し、頭をたたいたうえ、おかずをスプーンで無理やり口の中に詰め込み、「食べろっていってんだよ」と脅したなどとして、強要の疑いが持たれています。 (NHKONLINE 8月20日)」

悪い保育士は昔から居た。内部告発も繰り返しあった。しかし当時の新聞報道を読むと、危機的なのは、この施設の施設長が虐待を認識していたにもかかわらず、警察の取り調べに対し、「保育士が不足するなか、辞められたら困ると思い、強く注意できなかった」と述べたこと。この証言によって、保育士個人の資質の問題が、この国が抱えるいま最も重要な社会問題、政治姿勢の問題に変容するのです。

失政から生じた保育士不足が直接的に保育園内の信頼関係や保育の質に影響を及ぼす状況が、全国の保育園で当時すでに起っていた。現在も起こり続けている。

明らかに保育現場にいるべきではない保育士を排除できないのです。その風景に耐えられず、心ある保育士が辞めてゆく。発言できない乳幼児たちの周りで起っているこうした出来事を放置することで、子育ての現場から人間としての「常識」が消えていく。福祉や教育にとって致命的な、この国の将来のあり方に関わる負の連鎖が始まっている。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=465

しかし、もっと危機的なのは、この施設長の保育士不足が原因で「注意できなかった」という発言が全国紙の一面に載ったにもかかわらず、政府や政治家たち、その後の保育施策に関わった有識者たちが、保育の質の低下に直結する量的拡大と規制緩和を止めようとしなかったこと。

「保育園落ちた、日本死ね!」という親の発言が、もっとたくさん預からなければ駄目でしょう、という趣旨で国会で取り上げられたのがこの報道の3年後です。政治家たちはいったいどこを見て、何を考えているのか。新聞報道を通して聞こえてくる幼児たちの叫びを「この国の叫び」と捉えてなぜ耳を傾けないのか。国旗や国歌よりはるかに大切な、この国の本質が崩れようとしているのです。この国が欧米先進国に比べて奇跡的に犯罪率が低く、モラル・秩序が保たれてきたのは、幼児を大切にし、彼らの成長に喜びを見出してきたからです。http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1047 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=976

この千葉市の保育施設で起った事件が、学校教育という仕組みの中で起こっていたら、と想像してみてください。

教師が生徒の口に無理やり食事を詰め込み、頭を叩き、それが繰り返されていたとして警察に逮捕される。警察の取り調べに校長が「教員不足のおり、辞められると困るので強く注意できなかった」と答えたら大問題でしょう。校長はマスコミから非難され、国会で取り上げられ発言の責任をとって辞職するかもしれない。同時に、これは校長個人の資質の問題ではない。学校教育という「子育て」に関わる仕組みが成立していないということに皆が気づき、少なくとも、再発を防ぐ手立て、校長がそこまで追い詰められないような対策がとられるはず。

口に無理やり食事を詰め込まれ、大人に叩かれる相手が自ら主張できない2歳以下の子どもたちで、福祉という(「経済活動に必要な」と思われている)仕組みの中で起こった場合、その根本的な原因を追求し止めようという真剣な動きが起こらない。それどころか事件後、もっと0、1、2歳を預かれ、小規模保育や企業内保育は資格者半数でいい、11時間保育を「標準」と名付けるなど、保育士不足に拍車をかける方向へ動いていったのです。

園長、主任が保育士を叱れなくなっていっている。保育士に辞められ国の配置基準を割っても、子どもたちは毎朝登園していくる。連絡帳に書いてくる親たちの言葉は、ますます乱暴に、容赦ない感じになってきている。「子育て」の意味は、人間がお互いに育て合う、育ちあうということ、信頼を築くこと。その原理が、保育園で機能し難くなっている。

「保育(子育て)は成長産業」という閣議決定のもと、「いま、儲けるなら保育に関われ」というビジネスコンサルタントの無責任な言葉がインターネット上に溢れます。保育の意味さえ知らない、保育所保育指針さえ読んでいない素人の園長、設置者が参入してきています。数百万円の投資で小規模保育を始めた人たちが、一年も経たずに自転車操業に追い込まれるようなことが全国で起こっている。

少子化により定員割れを起こしている社会福祉法人や、園児確保のために子ども園化した幼稚園も含めて、経済学者のいう(質を高める?)競争原理によって生き残りに必死になっている。「私たちが預かっているから、土曜日も夫婦で遊びにいってらっしゃい」という本末転倒のサービス産業化さえ起こっている。親にとってのサービスであって、幼児にとっては質の低下でしかない。 http://kazu-matsui.jp/diary2/?p=1292

数年間良くない保育をされた子どもたち、過密状態の中で噛みつかれるなどの異常な体験をした子どもたち、そして乳幼児期に特定の人間と愛着関係を築けなかった子どもたちが確実に義務教育に入っていくのです。教師たちの生きる力も弱っています。その影響が学級崩壊という形で現れれば、クラスの子どもたち全員の人生に連鎖していくのです。親の責任だけでは、もはや子どもの人生を守れなくなってきている。

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家庭内暴力、保育士による虐待、小一プロブレム、学童の質の低下、様々な子育てに関わる問題が双方向に誘発しあっている。すべてが連鎖していることを忘れてはいけない。このままでは、社会全体がもっと殺伐としてくる。幼児たちが本来の役割を果たせなくなる、家庭、家族という浄化作用、自然治癒力が失われるということはそういうことなのです。

もし、政治家や専門家たちの言う「保育園でもっと預かれば女性が輝く、経済が良くなる、少子化問題が解決の方向に向かう」という思惑が外れたら、もしこの国の経済力がこの先落ちていって、財源が枯渇していったらどうなるのか。

「女性が輝く」と首相が国会で言った意味、輝き方については確かに人それぞれで、正論はない。しかし、15年来の政府の「少子化対策=保育の量的拡大」の施策の元で、少子化がますます進んでいることは確かなのです。韓国の例を見るまでもなく、経済財政諮問会議の予測は完全に外れている。

そして、一生に一度も結婚しない男性が3割になろうとしている。

男たちが「生きる力」「幸せになる方向性」を見失ってきている。無責任になってきている。親になる幸福が伝承されていない。人類をつないでゆく「動機」がわからなくなっているのです。これで本当に経済が良くなるのか。

3歳児だったら親に、保育士に叩かれた、と報告ができます。だからほとんどの保育士が叩かない。0、1、2歳は親に訴えられない。だから、よけいに注意し、気を配り、「みんなで心を一つにして親身な絆を作って、彼らを大切にしなければいけない」、それが人間社会の原点。この原点さえ守っていれば、紆余曲折、困難があっても人類は「利他」(弱者のために生きる)という幸福感の伝承をつないでいくことができる。いつかより良い方法で社会を作っていくはず。

幼児は、人間を信じることによって存在し、輝く。その光に照らされて、人間たちが輝く。自分の「価値」を知る。

幼児を扱う「作法」を、仕組みを動かす政治家や専門家たちは忘れてはいけない。