保育士を目指す学生たちに/園長先生からの手紙

 育休を終えて職場復帰する教え子が一人、助言を求めてきました。


 「保育相談支援/保育者がどう親を支援するか」という授業を大学で受け持つことになり何かアドバイスがありますか、と言うのです。

 子ども・子育て新システム、新制度、現在進行形で激変する保育界。自分なら、いま学生に何を一番伝えたいか、改めて考えてみました。私が好きな保育指針の第六章がこの授業のテーマです。そこに書いてある「子どもの最善の利益」とは一体何なのか。

 

 学生の質は大学によってずいぶん違います。その現実がイメージとして最初に浮かびました。しかし、次に見えるのは、子育てという人類にとって大きな一律の伝承の流れです。その流れは「親の質」を問うていない。そうだとすれば、何が伝承されてきたのか。大学や養成校という仕組みの中で,何が伝えられるのか。伝えるべき中心は何なのか。


 二十年以上前、初めて保育科の教壇に立った時のことを憶い出します。何を基準に成績をつければいいのか、成績が何を意味するのか、1人で立ち止まっていたのです。いずれ受け持つ子どもたちのために、人柄で順番をつけたいと思いました

 生来の保育士は、学生であっても、すでに私が教えることのはるか向こう側にいて、乳幼児たちと一緒に生きている。その不思議さを、私は数人の園長たちからその時すでに教わっていました。保育の仕組みと、心の仕組みの間でずいぶん考えました。


 いま、学生たちが働く場所は、それが社会福祉法人なのか認可外かで環境はずいぶん違います。政府が導入している株式会社とか派遣会社は、そもそも仕組みの動機やサービス対象が以前とは違います。公立保育所でも、正規(地方公務員)か非正規かで微妙に立場が違いますし、その市に幼稚園があるかないか、公立と私立の割り合いなど、地域の過去の歴史によって保育に向ける行政や住民の意識が違います。

 養成校を出た有資格者を求めるひとたちの質や意図が、千差万別なのが今の保育界なのですここ数年、雇用労働施策が前面に出て、受け入れ先の目的や仕組みがこれほど変化していったら、授業内容は、毎年教授を入れ替えて対応しなければならないのではないかとさえ思います。


 電話では応えきれず、教え子には、このブログを読んで下さい、と言いました。


 国家試験を受験者を除けば、資格を養成校が認定している現在、福祉を教える大学や専門学校で、学生に、福祉の危険性についてはあまり教えていないことが一番気になります。保育は直接的に親子の人生に関わってきます。ただ、学校の言うことを信じてやっていればいいことではありません。以前は、それを現場の先輩保育士や園長主任が教えてくれました。

 家庭崩壊を招いた、北欧における福祉の失敗は繰り返し翻訳され、出版報告されているのに、授業ではあまり伝えられず、福祉の有効性のみを教えようとする人が多い。有効性と危険性のバランスを考えさせなければ学生に現実を教えたことにはなりません。福祉が人間関係を断ち切ってゆく現象が先進国社会特有の様々な問題の背景にあり、そのことが早く現場の人に理解されないと、日本でも福祉そのものが立ち行かなくなります。


 支援しないことの大切さ。

 支援が必要な人を見分ける能力。

 誰が本当のSOSを発しているのか。

 誰が応えるべきものなのか。誰が応えるのか。


 サイン(兆候)を子どもから、親から、祖父母から、日々感じ取り、仲間と考え、話し合うことが保育の第一歩でしょう。対応すべき原因の多くが家族関係にあって、子育ての周りに親身な相談相手がいるかどうかが社会全体として問われているのです。

 相談相手からいい答えが返ってくるかではない。親身な相談相手がいるかいないか。いれば結果としてそんなに深刻な問題は起ってこない子育ては人間が安心するためにある。それを理解することが保育士としての出発点であってほしい。


 子育てに関する相談相手は、一生関係が続く人がいい。

 基本は夫婦ですが、祖父母、そして部族的な繋がりのある人がいい。子育ての悩みは、絆を深め体験と知恵を伝承するために人類に与えられていて、その役割を保育者がどこまで果たすべきなのか。長い目で見ると、親たちが、自分で相談相手を作れる状況を保育者がつくることの方が大切かも知れない。

 そして、究極の相談相手は、実は幼児であること。特に乳幼児との会話は宇宙との会話、自分との会話、幼児としっかり会話をしていれば、山や川や海、盆栽や人形さえ相談相手になってくれる。その辺りをどう伝えるのか、もう一度考えてみました。


 子育てである保育が学問に取り込まれてゆくと、支援することが、そもそもいいことなのだと学者たちは教えがちです。私も短期大学の保育科で8年間教えたことがあって、そこがとても気になりました。「サービス」という言葉が定義にすでに含まれる今の子育て支援が、長い目で見て親子関係にどう影響を及ぼすのか。初心者でもある親の意識や視点を、これからどの方向に導くのか。経済競争優先のいまの変化に、福祉は人的にも財政的にも対応しきれるのか。伝えたいことはたくさんあるのに、それが核心ではないのです。


 保育者がよりいっそう感性を求められる時代になっています。

 学問が役に立つことが必ずしもいいことではないということを繰り返し学生に教えないと現場が苦労するような気がしてなりません。


 保育に限らず、学問は最近、祈りの世界を離れ、正解のないことにまで正解があるようなことを言い、それを権威で押し切ろうとします。だから権威を身につけようとする。その積み重ねが、子育てを体験としてではなく、方法として捉える空気をつくっている。すると政治家たちは、子どもを、人生や国の未来ではなく、数で考え始める。これ以上専門家を作らないためにも、子育てや保育の専門家がいなかった時代の方が、悩みの数ははるかに少なかったことを、学生にしっかり伝えなければなりません。

 そして、40万人預かりますと首相が言う時、慣らし保育の幼児たちの悲鳴は聴こえていない、ということも。


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 テレビのクイズ番組で、母親が子育てしやすい国ナンバー1がスウェーデンで日本は30位?だという。スウェーデンでは6割の子どもが未婚の母から生まれ、日本は2%。離婚率も考えれば、子どもを実の両親が自ら育てることが少数派の国で、子育てを代わりにしてくれる仕組みがあるからと言って、それがいい国だとは思えない。学者のトリックはたちが悪い。

 (スウェーデンで、女性がレイプされる確率は日本の50倍、強盗が25倍。そういう数字を同時に放送し、子育てしやすい国の順位が何を元に決められているかを検証するといいのだが、クイズ番組ではそうもいかないのだろう。しかし、こんな番組を見て、親たちの不満がたまり、それが保育士に向くことだってあるのだから、元々の順位つけをした学者たちの罪は重い)

 子どもが十歳になった時に実の父親が家庭に居る確率を比較し、犯罪被害者になる確率や若者の麻薬の汚染率を比べてから国の善し悪しを判断してほしい。「母親が子育てしやすい国」と「母親が一人で子育てしやすい国」では明らかに意味が違う。国際比較のアンケートをとっても「父親が」と「実の父親が」ではその意味が違う。





園長先生からの手紙


松居 和様

 

 昨晩は、熱いお話の席にご一緒させて頂き、ありがとうございました。

 帰宅してから、頂いた本を一気に読み進む中、あれ!『げんき』の連載だ!と気付きました。

 私は、2004年、松居先生の『子育てのゆくえ』のご講演をステージの袖で一生懸命聞いていた保育士の一人です。今、親から引き継いだ保育園の園長になって1年、園の舵取りの責任の重さ、園長の心意気次第で、どのようにもなってしまう恐ろしさを、ひしひし感じています。

 世の中がどのような方向に流れて行こうとも、制度がどのように改革されようと、目の前にいる「こども」の肌のぬくもりを感じると、やるしかない!と損得抜きに思います。

 今朝も、第2子を産んだ母親が、子育てピンチに陥り、ヘルプの子育て相談を申し込んできました。1時間じっくりと母親の気持ちを聴き込み、「あなたの苦しみは、こういうことなんですね。お気持ち察します」と、お困りごとのからくりを図式化して解説してみました。

 すると「このゴールデンウィーク中に家庭を、立て直します。子どもが問題ではなく、私のこころ次第ですね」と明るくなって帰って行きました。

 そんな面談が出来たのも昨夜、松居先生の「親心を育てる以外に救いはない!」とパワーを頂いたからです。

 子どもと保護者と毎日向き合う保育士の意識を高め、仕事に誇りややりがいを感じてほしい。

 講演をお願いを致します。


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 園長先生や保育士さんが元気になって欲しいと願い、講演を続けている身には励みになります。

 「熱いお話の席」には、理事長、園長先生たちだけでなく、学者さんや市と県の部長さんも居て、席を設けていただいた小児科のお医者さんと共に、長年にわたる政府の子どもの気持ちを重視しない子育て支援策、五歳までの子どもの発達の不思議さや大切さ、一日保育士体験の広まり、親心の社会における意味など、様々に話し合ったのでした。

 園の舵取りの責任の重さ、園長の心意気次第で、どのようにもなってしまう恐ろしさを、ひしひし感じています。世の中がどのような方向に流れて行こうとも、制度がどのように改革されようと、目の前にいる「こども」の肌のぬくもりを感じると、やるしかない!と損得抜きに思います」

 追い詰められた保育界にあって、振り絞るような決意の宣言です。

 「保育園でもう40万人預かります」と笑顔で言ってのける総理大臣、「三人目は無料にします」と自慢げに約束する市長、保育者養成校に青田買いに行き、「4年勤めたら園長になれます」と学生を誘う株式会社の人たちに聴かせたい。保育は覚悟と境地。だからこそやりがいがあるし、仕組みを安易に考えてもらっては困るのです。大きな曲がり角に立っているこの国を、実はこんな園長先生の日々が支えているのです

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