六年前の状況から新制度へ/塩・味噌・醤油(天才保育士)/「子育て支援員

以前にもブログに書いたのですが、6年前に著書「なぜ,私たちは0歳児を授かるのか」に「閉じ込められるこどもたち」という章を書きました。当時認可外保育園で儲けようという動きが全国展開を始めていて、フランチャイズ料と指導料で大きく稼ぐ会社が衛星チャンネルやインターネットで宣伝を打っていました。しかし、その内容は、子どもたちの安全性、保育の質を考えると継続性が見込めない、非常に危ういビジネスの形でした。お金を儲けるための親支援、子どもたちの気持ちなどほとんど意識しないやり方でした。

当時「厚労省の資料を調べると、平成十九年度に新設されたベビーホテルが全国で193カ所、廃止休止が177カ所。認可外保育施設は594カ所が新設され492カ所が廃止休止です。」

大人の都合優先の方向が洗練され大規模になり、変えられずに進んできた先に「子ども・子育て支援新制度」があります。そして、また先月、川崎の認可外小規模保育園で小さな命が宿泊保育中に亡くなっているのです。正直、やりきれない思いです。

乳幼児を預かれば事故は起きるでしょう。乳幼児は弱者です。特別注意を払っていても人間は完璧ではありません。子育てをしていれば仕方のないことです。でも、認可外保育園で事故が起る確立は乳幼児だけを比べても認可の8倍と言われます。保育士の人材確保が困難な状況で、小規模保育や家庭的保育事業には安全性という観点からは無理があることはこのブログにも書きました。それを国の新制度は、来年の四月から補助をより手厚くし増やそうとしている。大手コンサルタント会社がそれを知って、小規模保育でどう儲けるかという宣伝を全国展開で煽っている。しかし、保育士の待遇改善は微々たる物。経済対策が優先し子育てにおける倫理観が欠如してきています。

その国が一方で「道徳教育」と言うのです。「道徳」の定義はよくわかりませんが、親が子を慈しみ、子が親に敬意をはらう、始まりはそんなことではないでしょうか。国の「子育てに関わる」施策がその両方を壊している。学校における「道徳教育の推進」などと言って誤摩化しても、国全体のモラルや秩序は国の保育(子育て、親育ち)の軽視で、ますます疲弊してきています。

40万人保育園で預かれ、しかもそれを成長産業と位置づけ、そこでその時子どもがどういう体験をするかということに対する配慮がまったく感じられない。国の成長戦略の中で「子どもの成長」と「親の成長」が無視されている。そして、結局将来の戦力/人間力が弱まってゆく。

人類の歴史から考えて、男女が共同して参画する行為の第一番が「子育て」だったはず。その機会を、国が施策で取り上げようとする。しかも男女共同参画社会という言葉を使って。現在の政府にとって「社会」は経済競争でしかない。そんなやり方でいいのでしょうか。言論の自由はまだ確保されているのです。マスコミや報道の見識が問われているのだと思います。

(六年前の文章です。)

閉じ込められる子どもたち

 

フランチャイズ制の認可外保育施設を全国展開している会社が、保育施設の経営を保育の経験がない人たちにまで勧めています。私の講演を聞いた人から、保育園をやって年収八〇〇万円くらいになるのですか、とメールをもらってびっくりしました。開設費や指導料を最初に計三〇〇万円払い、フランチャイズ料を月々五万円払う仕組みだそうです。規制緩和に乗じて大元の会社が指導料で利益を上げているような気がしてなりません。

「一人保育士がいれば、あとはパートでいいんです」「三つ経営すれば月100万円になります」と言われたそうです。利用者向けの宣伝には、「母親に代わり知育・徳育・体育をします」と書いてあります。開設をすすめるパンフレットの人件費の計算書は、時給八五〇円×七時間×二五日×保育士の人数。時給八五〇円で六人の子どもの母親に代わり知徳体の子育てができるのだったら、文科省も厚労省も苦労しません。

厚労省の資料を調べると、平成十九年度に新設されたベビーホテルが全国で193カ所、廃止休止が177カ所。認可外保育施設は594カ所が新設され492カ所が廃止休止です。こんなビジネスに、自分の意思では過ごす場所も決められない幼児を年に250日も預けていいのでしょうか。ベビーホテルの95%に立ち入り調査が実施されていますが、70%が指導監督基準に適合せず、認可外保育施設の77%に立ち入り調査が実施され、半数が指導監督基準に適合しない。

いままで規則で守られていた保育界を、民営化の名のもとに利益を追求する会社が参入できるように「改革」したのは、これまた保育に素人の、いや私に言わせれば「人間に素人」の経済学者と政治家たち。福祉はサービス、親のニーズに応えますと言って票を集め当選し、国の予算が破綻してくると福祉の予算は簡単に減らされ「民営化」です。選択肢のない子どもたちが泣いています。女性の社会進出で税収を増やそう、という切羽詰まった目的を、サービス産業には競争原理を持ち込めば質が上がる、という安易な経済論でカモフラージュして進めているのです。以前、女性の社会進出で税収を増やそう、という目的が、女性の人権というカモフラージュで進められたときと似ています。

しかし、子育てのサービス産業化はいずれ社会全体のモラルと秩序の低下を招きます。人間は子どもをないがしろにしたときに、自ら良心を捨てるからです。人々の心に疑心暗鬼が広がります。離婚が増え、経済はますます悪くなり、いずれもっと深く大きく破綻するでしょう。必ずどこかで誰かにつけが回ってくる。地球温暖化と似た構図です。

私は六割の結婚が離婚に終わるアメリカの状況を考えていて、これが地球温暖化の原因の一つでは、と思ったことがあります。一つの家庭が分裂すれば、釜戸が二つに、冷蔵庫も二つになります。電化製品メーカーにはいいでしょうが、温暖化ガスの排出量は二倍です。輸出に頼ってきた日本には一時的によかったのかもしれません。しかしその結果、私たちは人類として大きな代償を払わなければならなくなってきているのです。

すでにこうした無認可のフランチャイズ制の託児所が、全国に何百カ所も作られています。子どもたちが毎日「親らしさを放棄しようとする仕組み」を体験し育っていくのです。とりかえしのつかない未来への負の遺産です。

私が見に行ったところは、25畳くらいの部屋に40人前後の子どもが預けられている保育所でした。異年齢が一緒に受ける「混合自由保育」を売りにしていますが、一部屋ではそれ以外にはできません。一番私が耐えられなかったのは、この状態だと一日中「静寂」がないことです。異年齢の子どもを一斉に静かにさせることは不可能です。〇歳児と一歳児が偶然眠ってしまったときに、二歳児三歳児にひそひそと読み聞かせをし、四歳児五歳児に静かに遊んでもらう。そんなことは天才保育士でも不可能です。

静かな時間がない環境で、保育士と子どもたちが一日八時間以上、年に250日過ごす。園庭がないと、反響板の中に常に閉じ込められている感じがします。逃げ場がないのです。

もう一つ気になったのは、保護者会がないこと。これをやると園児が集まらない。親へのサービスが第一なのです。週五日預けている親に、「土曜日も夫婦で遊んできてください。お預かりしていますから」と言うそうです。こうした小規模園では親に対するサービスが死活問題になのです。

認可外保育所は二人に一人が保育資格を持っていればいい。そのうち、資格を持たない男性のパートを安易に入れるようになったら、と考えると恐ろしくなります。

アメリカで30年ほど前に、保育所や幼稚園における男性職員による性的いたずらが社会問題になりました。訴訟が怖いから、と保育士に「なるべく園児に触らないように」という指示を出していた園長先生を思い出します。男性保育士がいけない、と言うのではないのですが、ある日本の女性園長が、「保育士は毎日何度もオムツを替えます。娘さんが知らない男性に毎日オムツを替えてもらって、あなたは平気ですか?」とおっしゃった言葉には、真理と洞察があります。男女平等という弱者をも競争に巻き込もうとする争いよりはるかに深い、人間の性、修羅にもとづいた直感的なルールが人間社会にはあるのです。

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(そして今)

 当時のことを鮮明に憶い出します。六年経って、子ども・子育て新システム、新制度、混乱の中で「子育ての社会化、市場化」は確実に急速に進み、その結果としていい保育士が大量に辞めていきます。いまごろ保育士の時給850円で始まった保育園はどうなっているのでしょうか。多くが辞めていったとして、その過程で子どもたちはどういう日々を送ったのでしょうか。そして、六年前市場原理で始まった危うい動きが閣議決定で「保育は成長産業」と位置づけられ、後押しされ、国規模で進められようとしているのです。働く親たちが安心して子どもを預けられる環境などもう望めなくなっている。

小規模保育が自転車操業に陥った時に、「預かっていますから、週末夫婦で遊びに行ってらっしゃい」という言葉が平気で園長の口から出るようになるのがサービス産業。少子化の現実の中で、営利を目的とした小規模保育ほど経営の先行きが見えない自転車操業に陥りやすいのです。毎年3月に、4月に何人保育士を確保したらいいかわからない状況になる。呼び込みのような事実とは異なった宣伝が始まる。その宣伝がまた次の事故を生んでいる。(http://kazu-matsui.jp/diary/2014/09/post-210.html)

そのずっと以前に園長は親(客)に小言も注意も言えなくなっている。園を継続させるなら、心を閉ざすしかないような事態になっている。(http://kazu-matsui.jp/diary/2014/10/post-217.html)

子どもの未来につながる園での幸せが、今日・明日の経営に埋もれてゆくのです。当時、良いことをしようと脱サラまでして貯金をはたいて始めた夫婦の事業が、アッという間に、幼児の最善の利益を優先しない危ない保育産業になってしまうのを見ました。

そんな環境の中で、客の顔色をうかがうサービス業には向かない、一見要領の悪い、けれど心の温かい保育の天才たちが一年くらいで辞めていきました。いい園長先生が数年時間をかけて、伝承が生きる良い環境の中でしっかり育てればきっと長く続くいい保育士に育った人たちが、「保育とは呼べない保育ビジネス」を1、2年体験し去ってゆきました。そして、彼女たちは二度と戻って来なかった。自分の子どもを保育所には預けなかった。天命の職場には戻らず、家庭に入っていった。

親たちに対するサービス業に向く人と、乳児・幼児に好かれる生まれながらの天才保育士は異なる素質を持った人たちです。親の要求を仕事として受け入れられる人たちと、子どもの幸せを願って暮らす人たちは、相容れない人生観と才能を持った人たちです。子どもに話しかける声のトーンが違います。見つめる時の笑顔の質が違います。

だから保育界では、ビジネスに向く管理者はいい保育士を引き止めることができないのです。

いま株式会社系の大手保育チェーンが必要な人数の三割増しくらいの求人をするのは、毎年三割程度の社員が現場を去ってゆくことを知っているからです。でも、彼らが知らないのは、そういう保育士たちの中に保育界の将来の宝がいた、ということ。三歳未満児を「あなたは愛されている」「だからだいじょうぶ」「生きることは美しい」と包み込む、30年後には道祖神園長になったかもしれない、両親や祖父母、まわりの人たちに可愛がられ手塩にかけて育てられた気持ちのやさしい人たちがいた、ということ。

塩・味噌・醤油

ある園長先生が話してくれました。

養成校の教授に信頼されているその園長は保育士を育てるのに定評があります。ある年、保育士に欠員が出たため4人の卒業生を推薦してほしいと教授にお願いしました。

四人を選んでくれた教授が園長に笑いながら言いました。「二人は、将来現場でリーダーとなってゆく優秀な学生たちです。もう二人は、学業には向かないけれど天才的な保育士です……」

園長は一応形式的に筆記試験をしました。栄養の三要素は何ですかという問いに、天才保育士の1人が「塩、味噌、醤油」と書いたのだそうです。

園長はそこで大笑いをし涙ぐみながら私に言うのです。「この塩、味噌、醤油が、本当に、本当に保育の天才でした」

昔、ある園長が私にささやきました。「明るくって、元気がよくて、何でもできる保育士ばっかりだったら、子どもは疲れちゃうんだ。五人に一人くらいは暗くてやさしい保育士がいなくちゃね」。子育てとか家庭はバランスなんですね。それぞれが役割りを持っている。

また、ある園長が私に言いました。「園長がしっかりしていたら、主任は少し暢気なくらいがいいんですよ。主任がしっかりしていたら、園長はのんびりしているといいんです。両方のんびりしていたら困るけど、二人ともしっかりしていたら、保育士も子どもも息がつまってしまう。色んな家庭から来た子どもを大勢預かっているんですから、園の雰囲気といいますか、バランスがとても大切なんです。年月が必要なんです」

こうしたことはなかなか学校では教えてくれません。家庭という形に正解が無いように、園という形にも正解はありません。でも、0才1才2才児を預かる時、彼らが園であったことをちゃんと家で報告できない、ということだけは忘れてはいけない。私は毎年これだけたくさんの園を25年間に見てきて、そこで時間を過ごしてきて、あってはいけない風景や、それを体験した保育士と出会い、それを無くすことはできないけど、減らさなければいけないと思うのです。

どんな母親でも、まわりに数人相談相手がいればかけがえのない母親になれるように、学業には向かなくても書類づくりはまるで駄目でも、天才的保育士はいい園長に当たって数年で一人前の保育士、園という家族の一員に育っていったものです。少しの忍耐力と優しささえあれば、かけがえのない園の一員に育っていきました。

毎年、株式会社や派遣会社で2、3割の保育士が辞めてゆく話を聴くと、いい園長に出会っていれば、数年で、ときには20年くらいかけて、立派な保育士に育った子たちがその中にいたんだろうな、と思ってしまいます。

 

首相の所信表明演説から

「子育ても、一つのキャリアです。保育サービスに携わる「子育て支援員」という新しい制度を設け、家庭に専念してきた皆さんも、その経験を生かすことができる社会づくりを進めます」

ーーーーーーーーー関係資料

「子育て支援員」資格新設、主婦も20時間で保育従事者に 2015年度から

政府は2015年度から「子育て支援員(仮称)」資格を新たに設ける方針を固めた。育児経験がある主婦などが対象で、20時間程度の研修を受ければ、小規模保育を行う施設などで保育士のサポートにあたることができる。5月28日、女性の社会進出などを議論している政府の産業競争力会議で、厚生労働省などが提案した。時事ドットコムなどが報じている。

背景に不足する労働力

政府がこのような制度を設置する方針の背景には、保育人材の不足がある。政府が2015年年度から施行する「子ども・子育て支援新制度」では、保育所や小規模な保育施設、学童保育施設を増やすとしている。事業の拡充に伴い人材の確保が必要となるが、保育士不足は現状でも深刻な状態が続いている。

このため政府は、子育て支援員資格を整備することで、担い手を確保する仕組みを整えると同時に、子育て中の女性や、子育てが一段落した主婦の社会進出を後押ししたい考え。

■保育士の給与を引き上げにくい理由

厚生労働相の資料によれば、2017

年末には保育士が約7.4万人不足するとされており、政府は対応を迫られている。保育士確保の対策として、保育士の資格を持っているが現在は保育士として働いていない「潜在保育士」の掘り起こしや、離職者を減らすための研修実施などが挙げられているが、給与面での保育士の待遇を改善することも喫緊の課題だ。しかし、なかなか保育士の給与を上げにくい状況がある。保育士の給与を上げるためには、その元手が必要だが、行政が保護者が支払う保育料の上限を設定しており、その上限を超えると行政から補助金が下りなくなるのだ。保育所が預かることができる子供の人数は、保育所の広さや保育者の数で、決められるため、ひとつの保育所が得られる収入には限りがある。そのため保育士の給与を上げるためには、「保護者が支払う保育料の上限を引き上げる」、「ひとりの保育者が、預かることができる子供の人数の規定を増やす」、もしくは「行政が支払う補助金の額を引き上げる」などの対応が必要になる。政府は「子ども・子育て新制度」の予算で、保育士の処遇改善を行う予定だった。しかし、新制度の財源が不足するとわかったため、保育士の給与アップについては、当初の最大5%増から3%増にとどめることになった。政府の子ども・子育て会議は現在も、保育所に支給する補助金の額や、利用者の支払う保険料について議論が行われており、今後保育士の処遇についても算定するという。

■准保育士は何のために生まれたのか

実は、准保育士の話が出たのは今回が初めてではない。2007年の第1次安倍内閣時にも、当時の規制改革会議の中で登場している。なぜ、このタイミングで准保育士は再び議題に上がったのか。当時、准保育士の提案を行ったのは、人材派遣事業を展開するパソナ。保育士の受験資格を規制緩和することが目的だった。大卒や短大卒であれば専攻の内容にかかわらず、実務経験がなくても保育士の試験を受験できるのに対し、中卒や高卒の人は実務経験がないと試験を受けることすらできない現況をおかしいと考える人が、同社の社員や登録者に多かったためだ。同社が行ったアンケートによると、「気持ちと熱意のある方には資格や知識は必要だと思うが学歴は関係ない」という意見や「専攻にフィルターがかかっていないのであれば学歴は意味が無い」などのコメントが寄せられたという。2007年当時は、実務経験についても児童福祉施設に限られており、その児童福祉施設も採用自体が少なかったことから「最初からシャットアウトされているのではないか」とのコメントも出ていた。

当時、パソナに派遣社員として登録する人のなかには、子育てが一段落した30代、40代の人もおり、自分が子育てで経験したことを、社会貢献のひとつとして活かすために時給800~900円でもやりたいと考える人がいた。しかし、資格が無いために保育の現場には派遣しにくかった。そこで、准保育士などの資格を作り、保育所で補助的な仕事をしながら実務経験を積んだ後、正規の保育士としての受験資格を得るような道筋がつくれないか、という提案が行われたのだ。

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