ワーキングマザー/いただいた浅羽佐和子さんの短歌集から/デンマークの幸福度

浅羽佐和子さんの歌

(講演に来て下さり、いただいた短歌集「いつも空をみて」からです。身の引き締まる瞬間です。)

 

昇進の見送り理由を幼子とするぼろ布のような私

私のキャリアをどうしてくれるのと考えたってあふれる乳汁

仕事中だけはあらゆる不安からのがれられるの、どうしようもない

ヤクルトの小さな容器を積んでゆく ここまでいったら空だよ、ママ

保育園で描く絵はいつもママばかり、ママがぽつんといる絵ばかり

「お母さん、疲れたとだけは言わないでください」若い保育士のメモ

「ママうちにかえろう」ってただ手をつなぐために私はずっとここにいる

代役のない本当のママという役を演じる地球の隅で

 

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「ワーキングマザー」

 いただいた本の帯に「ワーキングマザー」とあって、出版社がつけたのだと思う

 「働く母親」「外で働く母」ではどうかなと思ったけれど、それでは帯の宣伝文句には向かないことは私にもわかる。「母」という言葉にある伝統的なイメージを払拭し前へ進まなければ、「マザー」にはなれない、そんな意識が働いているのか。しかし、やはりマザーだけでなく母はみな働いている。

 「働く母親」は一人の人間でありうるのに、なぜ「ワーキング」と「マザー」は対立し、そこに葛藤が生まれるのか。日本という国で西洋の言葉を利用する時に生まれる様々な対立は幸福論と資本主義の対立のようにも思える。次元の異なる対立を可能にするための手法なのか。

 園長から聴いたことがある。「ワーキングマザー」から「母」の顔に戻るのは中々難しい。必死にそれをするしかないほど、子どもの目は厳しく、優しい。トビラ一枚のことではない。子どもがあきらめてしまったら、それにマザーが気づかなかったら、と思うと、なるべくそんなことにならないような仕組みに出来ないか、と考える。

 ワーキングとマザーの間に「保育所」が存在していることが、今の社会状況と過去の仕組みとの一番の違いだと思う。特に三歳未満児にとって保育所はあまりにも絶対的な存在で、もはや絶対的過ぎると思う。その仕組みが、限界に来ている。幼児たちのために、その質に責任を持たなければいけない政府によって、幼児たちの存在自体がないがしろにされているのだから、ワーキングとマザーの間にある溝はますます深くなる。みんなで見ぬ振りをするしかない。すると苛立ちがつのる。仕組みを少々変えても、もう誤摩化すことはできない。

 途上国へ行けば、多くの子どもたちは5歳位で働いている。子守り、水汲み、物売りだったりで、一人前になった自分が嬉しいのか、結構活き活きと、美しく、働く。彼らを眺めていると、働くことはいいことなんだな、と思える。働くことは人々にとって人生の絆を育て、教え、教えられ、それは生きてゆくための日常で、形は様々だが人は皆してきたこと。時には「三年寝太郎」や「わらしべ長者」落語の与太郎のような一見役に立たないように見える人たちが重要で、その人たちには労働を超えた、社会における「働き」があったんだろうと思う。社会に必要な「ゆとり」や「人間性」を生み出す人たちなのだと思う。その「働き」が幼児に似ている。

 日常的に働くことで生まれる絆を主体に社会は成り立つ。「子育て」は働くというよりも、「働き」に近いが、それが中心にあるから人間は「働く」。

 今さら英語を使って分類しようとする意図はなにか。「マザー」と「母」の間に微妙な対立が生まれている。どちらも現実から少し離れているのだが、「ワーキングマザー」と「専業主婦」には今風の確かに異なる人生観があって、それは選択肢の問題であって対立はしないほうがいい。どちらも働いている。そこまではわかる。「ワーキング」と「マザー」の間にある葛藤は本人のものであって、経済施策などに利用されない方がいい。ワーキングファーザーとわざわざ言ってもらえないひとたちもいて、その人たちの「父」のイメージは、「母」よりもっと急速に薄っぺらい、頼りないものになりつつある。

 シングルマザーという横文字が定着し、政府の作ったパンフレットには「すくすくジャパン」という奇妙な言葉さえある。仕組みや概念、ニュアンスを変える時は外来語にして広めてしまえば「進歩」に見える、最近のカタカナ語の多くにそんな軽々しい仕掛けを感じる。政府がカタカナ語を盛んに使うということは、施策自体が軽々しいのだと思う。

 日本も急速に悪くなっているとはいえ数字で見れば、欧米の50年前くらいの状況。家庭や家族という概念にしがみつき続ける日本人のしぶとさに感動する。しかも119番に電話すれば救急車が30分以内に駆けつけてくれるのだ。夜、小学生が塾帰りに夜道を歩けるし、子育てするには世界一いい国、と思っている私には、こういう政府の「意図や仕掛け」が、進歩というより危うさに思える。欧米志向で本当にいいのか、特に子育てや家庭観に関わることでは、明治維新以降の欧米コンプレックスはもう卒業したほうがいい、自虐的な感じさえする。もっと自分たちの文化や国のあり方に自信を持ったほうがいいと思う。(後述のデンマーク関連の記述も参考にしてください。)

 乳幼児と、一日中一緒に居る親も結構大変です。いや、そうでもないか。インドの農村でみんなで乳幼児と暮らしている風景を見ていると、心が落ち着いていれば、遺伝子に組み込まれたこの時期の独特の幸福感や親としての成長は何事にも代えられない貴重な人生体験なのだと思う。進化の過程から見れば、この時期を体験することが人生の第一目標だった。幸福感が伴わないわけがない。

 先進国社会では、母親の孤立化が「社会で子育て」という方向性を生んでいる。そして、「社会で子育て」という方向性が母親の孤立化をますます進める。

 家事労働はまだしも、子どもに対する責任には切れ目がない。必ずと言っていいほど目の前で怪我をしたりするから、そうなると言い訳出来ない。祈ったり、謝って暮らすしかない。三歳までの子どもを育てていると、常に、ヒヤヒヤする。自分で判断し、創造しなければならないことがたくさんあるから、逃げ出したくなることもある。本来、一人でやるものでは絶対にない。

 単純に、会社を辞めて子育てに逃げる人と、子育てから会社に逃げる人が居たとして、その動機を比べてみると、どちらが幸せを探しているか、そんなことを考える。

 本来逃げられないものから逃げられるようになった社会が、幸せなのか。選択肢があるということは自己責任が増えることであって、実はそんなにいい事ではない。自己責任は自己嫌悪につながることが多い。連帯責任か神様の責任にするのが、絆に守られる人間社会を作るコツかもしれない

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デンマークについて

 

 デンマークという国の幸福度が高く、日本は先進国で最下位という報道があった。私はこの西洋人が(特に学者が)勝手に決めた「幸福度」というのが好きではないので、関連しそうな数字を一時間くらいネットで調べてみる。まず基本的な数字を日本と比べると、

女性がレイプされる確率:日本の十倍 (スエーデンは60倍)

傷害事件の被害者になる確率:十五倍

ドラッグ汚染率:五倍

 以前、調べた数字もだいたいこんなものだったと思う。ネット上の情報は様々ですが、比較する時は、まず、こういう基本的な数字から入るべきだと思う。これだけ物騒で(傷害事件)、男女間の信頼関係がなく(レイプ)、若者たちが夢や希望を持てない(ドラッグ)国を、日本より幸福な国と位置づけるには「無理な意図」が背後にある。この世界を覆う「無理な意図」が日本にも確実に影響している。

 仏教を土壌とした「欲を捨てることに幸せがある」という文化と、資本主義を動かす「勝つことが幸せだ」という物差しが日本でぶつかる。特に子育てでぶつかる。(ワーキングとマザーがぶつかる。今の仕組みの中で、幼児の視線を感じれば、その瞬間両立出来ないから、ぶつかる。もっとうまく両立に近いやり方を模索できると思う。幼児の気持ちを優先させれば、できると思う。)

 大学を中心とした社会制度に関連した学問は、一般的に欧米が本場で欧米を肯定することで生き残ろうとする傾向がある。デンマークは幸福だ、的な論理が国連で認められてしまうと、単純に受け入れ、意外と普及してしまう。前述した基本数字をみればわかるように、欧米の後を「幸福度」なとどいう言葉で追いかけたら、世の中は殺伐とし、弱者という多者が追い詰められ、取り残され、不幸になってゆく。

 しばらく検索していると、デンマーク在住の日本人と、日本在住のデンマーク人の文章に出会った。先入観と意図を含む学者の研究より、ストリート系の普通の感性で書かれた文章により真実が見える。幸福度に関しては、直感的にこの解説あたりが妥当だと思いましたので後述します。

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?

テレビの番組のこととか、幼児期のネグレクトに関する新聞の記事などは、五年前の記述ですが生活に沿った、子どもたちの幸福感に直結する、リアリティーを感じるデンマーク情報だと思います。国全体の置かれた「子どもが成長する過程における」環境が見えて来ます。

 日本では、13歳の母親が増えているという状況が全国紙の記事になるような事態には至っていない。性犯罪や麻薬の汚染率も欧米よりはるかに低い。

 ここには挙げませんが、いまデンマークが伝統的家庭観を取り戻すために進めている施策にはとても良いものがあって、主に子育てを夫婦に返そうという動きですが、良く観察すると背後にはいわゆる「右傾化」がある気がしてならない。米国のキリスト教右派の動向と似ています。方向性はいいのですが、背後にある動機が差別的で危ない。痛し痒しですね。でもそこまで追求せずに、いいことをやっているという事例でデンマークの施策を挙げるのは有効です。五十年前のデンマークで、または、いますぐに日本で始めたら、人類の進化の過程を変えるかもしれない、と思えるような施策があります。子どものいる夫婦は、夫婦合わせて一日9時間以上働いてはいけない、というような。

 危惧すべきは、「欧米ではこうで」という論法を使うと、政府の施策とかなり一体になっている経済論の立ち位置から、経済優先の雇用労働施策、「社会で子育て」の方向へ進むことです。首相がいまだに言う「三年以内に40万人保育園で預かります」という数値目標も、欧米並みに女性を家庭以外の場所で働かせようという税収を目標とした労働施策です。こっちの方が危険。欧米並みに家庭崩壊が進むと、福祉が成り立たなくなり、必ず治安が悪化します。

 文化や伝統、宗教の土壌が異なるのですから。「欧米では」という考え方は全般的にやめた方がいい。

 男女平等という概念でもそうですが、一流企業に女性の役員が少ないとか、県会議員に女性が少ないとか、欧米式の競争原理における「平等論」をこの国で掲げるのは馬鹿げている。子育てに価値を見出し、子どもに寄り添う母親であろうとする女性を男性優位社会の犠牲者のように決めつけることこそ、女性蔑視だと思う。選択肢として、いい親であろうとすることや、欲を捨てることに人生の目標を定めるのはむしろ王道です。仏教もキリスト教もその道を薦めている。

 「逝きし世の面影」(渡辺京二著:明治維新前後に日本に来た欧米人の日本関する記述を集めた本)に書かれているように、欧米人が150年前「パラダイス」と賞賛した社会の形が日本にあった。それは男も女も子どもを可愛がり、子ども中心に生きていた人たちだった。この国の考え方や習慣、一昔前の常識の中に様々な解決策を見つけ出す方が自然だと思います。

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『デンマーク在住の日本人のコメント』

 

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?

2009-02-26 | デンマーク最新

 デンマークには「ヤング・マザー」という番組がある。

 20歳まで、ある時は15歳でママになった少女たちを主人公に、夫や両親などの家族の様子や、公的社会支援を受けて生活を構築していく様子を伝える番組である。かなり人気があり、デンマーク人はよく見ている。

 一緒に見ながら、「ヤング・マザーを支える社会の仕組もよく整っているなあ」というように見ていた。

 しかし、これは大きな社会現象のようで、、、、、

 218日のユラン・ポステンデンマークで最多の発行部数を誇る高級紙) によれば、、、、

 13歳で母親になる少女が増えており、これは「できちゃった!」というようなものではなく、彼女らが、望んで計画的に行っていることだという。避妊の失敗による事故ではなく、「家族の夢」や「無条件の愛」を求めての結果であり、彼女らは妊娠のメカニズムについてよく知っており、計画的に妊娠している。

 ヤング・マザーたちの世話をしているソーシャル・ワーカーが言うには、

「彼女らは家族を欲しがっています。そして、ずっと続く愛や無条件の愛をほしがっています。だから、妊娠は計画的なものであり、妊娠したことをとても喜んでいるのです」とのこと。

 しかし、「15-18歳以下での妊娠は早すぎ、人間としても成熟していたとしても親業まではまだ早すぎるので、対策を講じたほうがいい」のである。

 そこで、どこに手を入れたらいいかという話になるが、彼女らの動機を考えると、性教育のまずさや次期うんぬんとは別の時限の話になってくる。

 

 デンマークでは、ヤング・マザーに親としてのトレーニングを行うハウスもあるようであり、そこのハウス長は、次のように話している。

 「若くして母親になった少女の5人に1人は、確かに計画的に妊娠しています。しかしもっと強い現象は、彼女らの満たされない欲求に対して、自分の感情と戦ったうえで妊娠という方法を選んでいる、ということです」

 「ここに来る若い母親たちは、幼児期にネグレクト(親からの放置)を受けたケースが多いのです。だから、若くして、家族を持ちたい!愛情が欲しい!と思うのです。それは、彼女らが考えた末の、ひとつの戦いの結果なのです」

 

 

日本在住のデンマーク人のコメント

 

 僕はデンマーク人です。デンマークの例から挙げますと、1970年代に労働者不足になっていたため(今の日本ですね、高齢者が増えて労働者が足りない)、トルコからの労働者をどんどん受け入れました。

 当時のデンマークの政治家は無責任で一度受け入れた労働者には家族や親せきを呼ぶ権利まで与えました。当時デンマークでは生活支援法というのが出来たばかりで失業しても失業手当を貰う権利が国民に与えられました。福祉が充実して海外から見れば天国みたいな国でした。今も日本の多くの方が「天国みたいなデンマーク」に行っては福祉の勉強をしています。

 この「天国みたいな国」に行けば老後も問題ないと考えた外国人がどんどん入ってきました。特に労働者として呼ばれた方々の親戚や親が入ってきてデンマークは国として負担が増えて行きました。

 80年代になると今度はイランやイラクの難民をどんどん受け入れました。難民は自分の国の戦争や政治的な問題から逃れてデンマークに逃げてきました。やさしいデンマークの国民はこういう人たちを助けてあげなければと考えて難民もどんどん受け入れました。

 80年代は特に問題化はしていませんでしたが当時外国人が多い為デンマークの将来が危ないと考えて外国人反対の党を作り上げた人がいました。彼は人種差別者としてデンマーク中のメディアで批判されました。彼が主張していたのは単にデンマークをデンマークとして守るためには受け入れていた外国人の数が多すぎるという事でした。まぁ、実際に彼はその内かなりの人種差別者になったかも知れませんが、決して主張していた事が無茶苦茶ではありませんでした。しかし、メディアからしてみれば人種差別者であり叩くのにはもってこいの人物だったのでしょう。

 90年代になり外国人の数がどんどん増えて外国人問題が多発するようになりました。これは外国人労働者を受け入れるようになってたったの二十年後の話です。たった二十年ですよ!

 外国人は数が増えたため自分達だけで生活が成り立つようになり、デンマーク語をいつまでたっても覚えない人が増えました。

 暴力は増え、デンマーク人と外国人との対立が増え、右翼が強くなって行きました。郷に入れば郷に従えという事を主張する人が増えて行きましたが、そういう人たちは人種差別者というラベルを付けられ結果として職を失ったり、「差別」を受けたりするようになりました。何しろデンマークは世界の先進国であり難民を受け入れる「天国のような国」でしたから。誰もが安心して暮らせる国だったのです。

 外国人に反対する人たちは結果を恐れて発言が出来ない社会になってしまいました。デンマークは言論の自由が最も実行されている国だったはずが、外国人反対に関しては公に言えない国になってしまったのです。その結果、問題があるにも関わらずその問題を取り上げる事がなく90年代は過ぎてしまい外国人問題は拡大する一方。

 一時期イスラム系の人達がコペンハーゲンの小学校、中学校の給食から豚肉を外してほしいと主張し始めました。デンマークは豚肉の輸出で成り立っているような国です。デンマーク人に取って豚肉は大事な存在です。日本でいえばお米。日本の学校給食からお米を外してくださいと外国人が要求しているようなもの。自分達の給食から外せば良いのに学校全体と要求。積もり積もった外国人問題は最終的には世界で知られている風刺画問題に発展。デンマークがデンマークである最も重要な基本である言論の自由がデンマーク国内で外国人により侵されたのです。民主主義を守るか、それとも民主主義に妥協し宗教を尊重する事を重要視するかにまで問題が発展。

 世論は真っ二つに分かれ言論の自由をサポートする人と宗教を尊重すべきとする人に分かれて下手すると第三次世界大戦がはじまるのではとまで懸念されました。そろそろ5年程前の問題になりますが、未だに収まったのか収まっていないのか分からない状態です。いつこの問題が復活するか分からない状態です。

 現在デンマークには外国人が60何万人いると言われています。国民が550万人の国では一割を超えています。しかし、この数字は果たして正しいのかと議論されています。実際には150万人いると主張する人もいます。どの数字が正しいかは別としてデンマーク人は減り、外国人が増えている事に変わりはありません。つまりいずれは外国人が5割を超えてデンマーク人が少数派になる事もほぼ間違いないでしょう。ちなみにこの問題はデンマークだけではなく殆どのヨーロッパの国に言える事です。

 デンマーク人が少数派になった場合、今までのデンマークは消えてしまいます。ポルノの自由が真っ先に行われたのはデンマーク、ホモの人間が世界で最初に結婚を認められたのはデンマーク、政治的な情報開示を最も徹底的に行ってきたのはデンマークであり、EUにもそれを要求して来た。環境の先進国であり、福祉の先進国。弱い者を支えてノーマリゼーションを訴えて来た国です。オンブスマンという言葉はデンマーク語でありデンマークが生んだ制度。

 しかし、このデンマークがもはやデンマークでは無くなりつつあります。しかもたった40年でこう成ってしまったのです。

 僕は日本で育ちました。日本が好きです。しかしだからと言って日本の全てが素晴らしいとは思っていません。労働環境は何とかすべきだと思うし、政治の問題も多すぎる。

 しかし、日本には素晴らしい歴史があり日本人という素晴らしい性格の民族が居ます。この日本を日本として守るためにはどうすべきかと考えます。100年後も日本は日本人の特徴を維持しまた日本人として生存する権利を守れる国にしたいです。その為には残念ながら外国人の参政権に反対すべきだと考えます。

 外国人は政治に参加したければいろいろと方法はあります。日本人との接点を増やし自分の考えを述べる事自体も政治に参加している事になります。日本人がその意見を聞き、意見が良いものであると考えれば日本人を通して日本の政治に影響を与える事になります。

 個人的には現在労働環境の通信簿というサイトを立ち上げております。このサイトは日本の労働環境を何とか改善したいという気持ちから作りました。別に参政権がなくても日本に影響を与えられると信じています。

 また重要なポイントですが、僕が日本の労働環境を変えるという訳ではありません。日本人が日本の労働環境を変えられる仕組みを作ったのです。僕は僕なりに日本の労働環境はこうあるべきだという意見を持ってます。しかしそれを日本人に押し付けるつもりはありません。

 しかし自分が働いた日本企業の労働環境はデンマークと比較してあまりにも過酷です。また、日本人の同僚と話をしても同じ事を言います。しかし、誰も日本の労働環境を変える事は出来ず我慢の連続です。中には過酷な労働環境のあまり鬱になったという人も少なくありません。これはどう考えても労働環境を変えるべきだと思わざるを得ません。

 そこで考えたのが労働環境の通信簿を立ち上げる事です。日本人自らが自分の労働環境を評価していく事により日本を変えて行く。就職活動を行っている方は労働環境の通信簿にアクセスし労働環境の良いところを選んで就職活動をする。つまり労働環境の良いところは就職活動する人が集中し労働環境の悪いところはなかなか良い人材がつかめない。日本の労働環境は変わって行くと考えます。

 労働環境の通信簿はまだ立ち上げ中でおそらく45年は掛ると思われます。皆さんからのサポートがあればもっと早く立ちあがると思いますので是非宜しくお願いします。特に労働環境の投票をお願いします。?ホームページはwww.roukan.jp です。

 

 このように僕は参政権を持っていませんが、日本に取って日本人にとって、良い変化をもたらす事は出来ると思います。参政権は特に必要ないです。

 

 長くなりましたが、言いたかった事は外国人参政権は良く良く考えなければいけない事、海外ではその失敗例が多くある事、そして日本の政治に参加したい外国人がいれば特に参政権では無くても良い影響を与える事が出来る事。

そして何よりも日本を日本として守る事に関して僕は出来る限りの協力をしていきたい事。

 

宜しくお願いいたします。

キム・ペーダセン?メール infomx2.jp

 

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1.年間犯罪件数

 2007年のデンマーク治安当局統計によると、2007年の犯罪認知件数は444,773件であり、2006年と比較して、19,668件増加しています。?国によって統計の取り方が違いますので一概に言えませんが、犯罪に遭う確率(犯罪発生件数を総人口で比較、人口÷犯罪認知件数)は、日本の5倍以上になります。デンマークは総人口543万人で犯罪認知件数が44,773件であり、12人に1人の割合で犯罪に遭遇していることになります。これに対し、我が国は総人口が1億2,700万人で犯罪認知件数が1,908,836件であり、66人に1人の割合です。

 

2.治安状況

(1)治安・社会情勢

欧州の中でも比較的安定しているといわれていますが、移民問題に関連した青少年不良グループ間の抗争事件やアルコール中毒、麻薬の乱用に絡んだ犯罪が後を絶ちません。また、銃器を使用した事件が増かしています。

 特に観光シーズンは、外国からプロの窃盗グループが入り込み、空港、駅、ホテル等で旅行者が盗難の被害に遭うケースが頻発します。また、日本人は多額の現金を持ち歩く傾向があると見られていることから、日本人旅行者を狙ったと思しき盗難被害が多発しています。さらに、コペンハーゲン市内のクラブや街頭で麻薬の密売が行われている場所もありますので、犯罪の巻き添えにならないよう、十分に注意してください。

 

 

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