幼児を守れずに、この国を守ることはできない・保育崩壊・選挙の宣伝カー・板橋区の保育士体験

幼児を守れずに、この国を守ることはできない。幼児たちに感謝せずに、国を愛することはできない。

次の世代をどう育てるか。

特に幼児との関係をどうとらえるか、どう位置付けるかは、この国の将来を決めるに近い最重要問題だと思っています。

私たちがいま、幼児たちをどういう目線で眺めるか、ということ。そこを間違ったら、経済競争などあまりにも虚しい。

いま、進んでいる「保育崩壊」の一番怖い現実は、今の保育士養成校の学生の質にあります。すでに定員割れしている養成校に、高校で進路指導をする人たちが、様々な問題を抱えた生徒を送り込んでいる。基本的に3歳までは親が育てる「幼稚園という仕組み」ならまだいいのですが、いま政府は積極的に3歳未満児を保育園で預かることを奨励しています。誰でも入ることができ、誰でも資格を取れて、誰でも採用する、採用せざるを得ない仕組みの先に012歳児が居る。子育てにおいてあってはならない負の循環が始まっている。だから、どうしても先が見えないのです。

こうした学生の質の問題、その実態は実習生を受け入れている幼稚園・保育園に聞けばすぐにわかること。ですから厚労省も知っているはず。あの人、変、と幼児が怖がって寄り付かないような実習生、明らかに幼児の前に出してはいけない学生に「資格」与えている養成校は、市場原理の中に居て、幼児のことなどもう考えていない。それは、即ち学校教育という仕組みの終焉を意味するのです。

(毎年、保育関係者を中心に全国で講演しています。主に保育界で起こっていることを報告している私のツイッターに、こんな文が返ってきます。@kazu_matsui)

『うちの職場にも「(俗にいう)使えない人材」が採用されています。「子どもなら、自分の自由に動かせる」と非常に恐ろしい考えを、何の躊躇なく話してた彼ら。退職したり、配置転換し、現場から離れましたが一緒に仕事してる時は生きた心地しませんでした。』

『最近の実習生を見ていて、まさに実感しています。『子どもが好き』だと思えない学生が多い。新卒の保育士も同じ。なぜ保育士になったのか?と思ってしまう。結果、新人は注意されればすぐ退職していく。残された保育士の負担増であり、悪循環…』

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少々常識はずれでも、不思議な若手も、数年かけて園でいい保育士に育てることが、昔はできた。ほぼ全ての人間が、子育てをする能力を秘めている。

数年園にいてくれれば、そして、いいベテランがそばに居てくれれば大丈夫だった。そうした保育士が育ち、育てる環境が現場で、いまどんどん崩れてゆく。

困るのは、何も言わずに置き手紙だけで辞めていってしまう一年目の保育士が二人いるだけで、現場が一気に窮地に追い込まれる保育士不足の現状です。その瞬間、派遣会社に電話するか、再び危ない若手を採用するかしか手立てがない。

自分の立場や責任を理解していない、なによりも園児たちのことが最低限優先して考えられない学生が、簡単に資格を取っているのです。

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今まで30年40年、責任あるいい保育をしてきた園長が、明らかに良くない保育士を雇わざるを得なくなり苦しんでいる。親が見学して良い保育園だと思ってくれても、保育は幼児にとって常に日々一対一の関係です。保育士の当たり外れが子どもたちの日常を決定する。それを園長は知っている。募集して倍率が出ないことがすぐ致命的になる仕組みなのです。

子育てを経済論で考え、「保育は成長産業」とした閣議決定が一気にこの状況を進めたのですが、15年前のエンゼルプランあたりからすでに無理はあった。言葉で主張できない乳児たちの願いを政治家たちが想像しなくなり、保育を雇用労働施策に取り込むことによって、保育と施策の心がずれた。保育士と政治家の間に亀裂が走り、それが最近、より深く広く、決定的になっているのです。

昔から、乳幼児の存在がモラルや秩序の中心にあったのに、それを政治家たちがわかっていない。

選挙の宣伝カーが回ってきて、「待機児童をなくします」と叫びます。簡単に、当たり前のように、決め事のように言うのです。それを言うことによって、乳幼児たちの無言の願いが否定されているとは誰ももう思わない。厚労省が012歳中心の小規模保育に立ち入り検査をして半数に違反が出ると報告しているのに、誰もそのことは、宣伝カーでは言わない。知らないのかもしれない。

マスコミが「待機児童をなくさなければ」と繰り返せば、保育士の当たり外れの格差が、012歳児を預けることを躊躇しない親が増えることで、急速に、異常に、全国的に広がっていく。待機児童=3歳未満児、ということさえ知らないテレビのコメンテーターが、「権利」という言葉を使って世論を煽る。

実は、保育を「子育て」と思っている保育士がまだたくさんいて、そういう人たちが、マスコミに煽られた国や一部の親たちの要求に呆れ、くたびれ果て、去って行く。公立園の中堅が定年を前に辞めて行く。それを役場が止められない。

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ツイッターでの会話:

『保育園での長時間保育や産休明けからの保育をしなくても良い働き方はないものだろうか?と。皆が育休(せめて1歳過ぎまで)を取ることはできないだろうか?と思うのです。働くな・・なんて思いません。育休の後、職場復帰のできる社会、それを保育園と親御さんと共に心を一つにして目指したいのです。』

それはできると思うのです。しかし、急がないと親御さんと心を一つにすることに生きがいを感じる、子ども思いの保育士がどんどん辞めていっている。そして、保育はサービス、社会(仕組み)で子育て、と教えられた資格者がそれに代わってゆく。

『同感です。働くご家庭にも子育ての大変さ楽しさ、それを知らせないと。でも「子ども目線」での意見は 親御さんと平行線。どうしたら良いでしょう?育児は大変だけどすごく大切なこと、せめて0~2歳迄「保育園」でなく家で育てられると良い。』

 

 

待機児童をなくす、あと50万人保育園で預かる、と政府が言えば、0歳児を預けることに躊躇しない親が増える。すると、それだけで「保育の良心」が追い詰められるのです。その構図を早く政治家やマスコミがまず理解することが重要です。

そして、直接給付(子育て応援券なども含む)、子育て支援センターの充実、育児休業の法制化などで、「なるべく親が育てる」方向に施策を転換し、加えて、親や祖父母、小中学生、高校生の保育者体験を広げ、幼児たちを社会の一員として意識する慣習を取り戻す。そうした耕す努力を、いま同時に始めても、一回りして土壌が変わり始めるのに20年ほどかかるかもしれない。

それまでに、人類はどうなっているのだろう、といまの世界中で起こっている混沌をニュースで見ながら思うのですが、それでも、できることを少しずつやっていくしかない。

乳幼児の社会的役割を確認し、幼児たちと繰り返し交わることで自然に構築される「親心が育つビオトープ」を復活させる、それしか方法はない。それを整えると、自浄作用や自然治癒力が働き始める、そんな仕組みを早く作って普及させる。一日保育士体験が、その入り口になると私は思うのです。

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先日、講演後に板橋区の園長先生たちと話しました。板橋区の保育士体験はずいぶん進みました。http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_categories/index04004012.html …

園は保育者と親が心を一つにする場所。その方向に向かわないと保育の質は保てない。保育という仕組みの再生は「教育」ではできない。だからこそ、集団で遊ぶ幼児たちの姿に望みを抱くのです。それを一緒に眺めるのがいい。

幼児を守れずに、この国を守ることはできない。幼児たちに感謝せずに、国を愛することはできない。

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