クローズアップ現代(NHK)〜「愛着障害」と子供たち〜(少年犯罪・加害者の心に何が)



 クローズアップ現代(NHK)で、〜「愛着障害」と子供たち〜(少年犯罪・加害者の心に何が)という番組が放送されました。発育過程で家庭で主に親と愛着関係が作れなかった子どもたちが増えていて、それが社会問題となりつつある。殺人事件を起こした少女の裁判で、幼少期の愛着関係の不足により「愛着障害」が減刑の理由として認められたという内容です。

 さっそく、保育園の園長先生から電話がありました。

 「問題はここですね。保育の現場で私たちがずっと以前から気づいていたことです。肌の触れ合いや言葉掛けが減ってきて、一歳から噛みつく子がますます増えています。保育士が補おうとしても限界があります。手も足りません」。保育士たちが日々保育室で目の当たりにしている光景、いわば愛着障害予備軍の幼児たちなのです。

 行政の方からも電話。「この番組を見て、政府は4月から始める『子ども・子育て支援新制度』をすぐにストップしてもいいくらいだと思います。幼児期の大切さをまるでわかっていない」。

 役場の子育て支援課長がここまではっきり言うのも、今回の新制度は、首相の「もう40万人保育園で預かります。子育てしやすい国をつくります」という二つの矛盾した考えから始まっているからです。3、4、5歳に待機児童はほとんど居ません。幼稚園と保育園でほぼカバー出来ている。首相の言う40万人は自ら発言出来ない、三歳未満児が中心で、番組で言われていた愛着関係の濃淡に最も影響を受けやすい、脳科学的にも人間性の基礎が形成されると言われている一番大切な発育期にある子どもたちなのです。

 政府が経済最優先で進めている改革の中身は、認可保育園での三歳未満児保育を増やす、認定こども園、小規模保育、家庭的保育事業と、市場原理を利用しながら「乳幼児たちと母親を引き離すこと」なのです。そして、すでに小学三年生までの保育でアップアップの学童保育を四月から一気に六年生まで引き上げろと言うのです。指定管理制度の中で抵抗出来ず、行政から言われる通りにやるしかない非正規雇用中心の指導員に、様々なレベルの愛着障害の子どもたちに対応するだけの余力は残っていない。一週間程度の座学で誰でも資格をとれる子育て支援員で誤摩化せるはずもありません。以下、放送された内容です。

(全テキストは)http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3613_all.html

201529日(月)放送

少年犯罪・加害者の心に何が

〜「愛着障害」と子供たち〜

 

 一昨年(2013年)、広島県で起きた少年少女による女子生徒殺害事件。

 事件を主導したとされる少女に1審判決が下り、その背景として、ある障害が指摘されました。今、その障害がさまざまな少年犯罪で要因の1つになっているのではないかと注目されています。(中略)

 「良い行いをして褒めても響かない。悪い行いをしたときに逆ギレしてパニックをよく起こしてしまう。」(中略)

 ”犯行動機に被告人の不遇な成育歴に由来する障害が影響している。裁判では、少女が幼少期に虐待を受け続けたとし、そのことで怒りをコントロールできなかったとしました。精神鑑定で指摘されていた、「愛着障害」の影響を認めたのです。(中略)

 16歳とは思えぬ幼さと粗暴さを感じたといいます。(中略)

 長年、少年院で子供たちと向き合ってきた医師は、今起きている多くの少年事件の背景に、虐待や愛着の問題が存在するといいます。(中略)

 

 関東医療少年院 教育部門 斎藤幸彦法務教官「職員にベタベタと甘えてくる。逆にささいなことで牙をむいてきます。何が不満なのか分からないんですけども、すごいエネルギーで爆発してくる子がいます。なかなか予測ができない中で教育していかなければいけないというのが、非常に難しいと思っています。」(中略)

 愛着障害特有の難しさに加え、さまざまな事情が複雑に絡むので、更生といっても従来の対処法だけでは困難な面があるといいます。(中略)

 

 関東医療少年院 医務課長 遠藤季哉医師「愛着の問題は虐待と関連がありますけど、これは虐待、これは(先天的な)発達障害、みたいに単純には割り切れない。いろんな問題、要素が絡んで本人の複雑な症状をつくり出している、非行をつくり出している。」(中略)

 


高岡健さん(岐阜大学医学部准教授) 愛着っていうのは、しばしば船と港の関係に例えられます。港、すなわち親や家族が安心できる場所、安全な場所であると、船である子供は外の海に向かって悠然と出かけていくことができます。そして燃料が少なくなってくると、また安心な港に帰ることができます。ところが、もしその港がうまく機能していない場合はどうかといいますと、子供はまず、常に裏切られた経験というのを積み重ねてしまった結果、自分を分かってくれる大人なんかいるわけがないという、そういう気持ちに陥りがちです。これが、褒められても喜ばないということですね。(中略)

 むしろ子供の行動や気持ちに対して、必ず応えてあげてることがあるかどうか。私どものことばでは「応答性」と呼びますけれども、応答、すなわち応えてあげてるってことがとても大事なわけです。(子供のほうから声をかけてきたときに親がきちっと向き合うこと?)おっしゃるとおりです。逆にそれを無視してしまいますと、いくら長い時間つきあっていても、それは意味がなくなってきます。

●愛着形成の期間、何歳までが大事?

これはあくまで目安という意味ですけれども、大体3歳ぐらいを過ぎますと、自然にその港から外に行く時間が長くなってきます。(中略)

 

養護施設の職員「養護施設に来る子供たちっていうのはマイナスからの出会いなので、赤ちゃんを抱いているような感覚でずっと接してきました。ここ11年間、それは大変でした。」

 

(ここから再び私見です)

 この番組で指摘されている「幼さ、粗暴さ」、「何が不満なのかわからない」「逆切れしてパニックを起こす」、講演先で出会った中学の先生たちが、最近の中学生の全体像の中で言われた特徴と重なります。犯罪を犯したりする子どもたちは氷山の一角で、似たような子どもたちは程度の差こそあれ確実に増えていて、学校におけるモラルや秩序の維持に影響を与えている。対応する教師たちが限界に近づいている。

 クラスに1人くらいだったら、それはもう人間社会では当たり前のこと、育てる側に絆さえあれば対応出来るのかもしれない。3、4人の軽度の愛着障害+発達障害の子どもと、予備軍的生徒が数人がいると、時に教室の空気、雰囲気は子どもたちにとって調和のとれない辛いものになってゆく。学級崩壊は、その学級の子どもたち全員の人生に影響を及ぼしてゆくのです。このまま無理な施策を進めて行けば連鎖が始まり、何かが一気に崩れ始める。そんな漠然とした不安が教師たちの将来の展望を重くしている。先が見えないのです。

 番組の中で「様々な事情が複雑に絡む」と言われているように、厳密に言えば、すべての人間が愛着障害と発達障害の組み合わせで成り立っている。しかも、その見分けは困難で、だからこそ、成長発達の過程である一定の環境、伝統的家庭観と言ってもいいかもしれませんが、歴史のなかで育まれて来た常識を簡単に崩してはいけない

 (人間の行動は、単純に発達障害+愛着障害+環境、というよりも、発達障害×愛着障害×環境かもしれず、それが学問では予測出来ない人類の歴史を生んできた。それでいいのだと思います。しかし、現在先進国社会で起っている愛着障害の急激な増加は、人類が経験したことのない領域で、あまりにも振れ幅が激し過ぎる。それはつまり欧米先進国で3割から5割の子どもが未婚の母から生まれていること、父親たちが幼児と関わる時間が異常に減少していることに起因していると思います。)

 幼児期の体験は相当決定的で道徳教育などで対応出来る種類のものではない。それはユニセフのこども白書や国連の人権条約などでも言われていたこと。それがあらためて、夜七時半の全国放送で裁判所の判断と共に放送されたのです。

 クローズアップ現代は有名ですし、私は質の高い報道番組だと思って見ています。ここまではっきりと報道されている三歳までの愛着関係と「応答性」の大切さの指摘を、子ども・子育て支援新制度でもう40万人三歳未満児を親から引き離そうとしている首相はなぜ理解しようとしないのか。十年以上前、厚労省が「長時間保育は子どもによくない」と保育界に向けて研究発表した時の長時間が8時間だった。それをいま13時間開所を保育所に要求し、11時間を標準保育、8時間を短時間保育と名付けて進める新制度の意図が、子育ての現場を追い込んでゆく。政府が、この国の親子間の愛着関係を土台から壊し始めている。親を客と考える市場原理を使ってこれを進められては、児童相談所も、学校も養護施設も少年院も対処しきれない。この制度で始まる負の連鎖は長く将来に影響を及ぼすことになる。

 今回の新制度が民主党政権によって新システムと呼ばれ始まった頃、厚労省の人に「私たちもおかしいと思う。財源が確保されていない。人材的にも無理。でも、閣議決定されたら仕方ない。内閣を選んだのは国民でしょう」と言われたことがあります。国民は直接内閣を選んではいないし、選挙に出る候補者を選んでもいない。しかし、この問題に関しては、すべての政党が「待機児童をなくせ」と、幼児の気持ちを考えずに言っているのですからどうしようもない。政治家は、待機児童を無くせというマスコミの論調に踊らされ、乳幼児の姿が見えなくなっているのかもしれない。

 いや、そうではない。もしそうなら、2万1千人の待機児童数と40万人保育所で預かりますという首相の発言の矛盾が説明出来ない。経済の仕組みの本質が幸福論にあることを理解していないか、すっと先のことまでは見ようとしないのか。

 クローズアップ現代のように、間接的ではあるけれど、よく考えれば、ほぼ直接的に新制度の危うさをマスコミが報道してくれる場合もある。あとは親たちの問題、と言い切るのは酷だろうか。子育ての責任回避の傾向はもう仕組みが引き受けられる一線を越えてしまったのか。あの番組の最後に、「そして、今政府は40万人の乳幼児を保育園で預かる施策を進めています」と国谷さんが言わなかったから、みんなことの重大性に気づかなかったのだろうか。

 まだ、大丈夫だと思う。埼玉県や横浜市だけでなく、選択肢のある自治体では7割以上の親たちが三歳未満児は自分で育てるという選択をしている。


 以前、乳幼児は両親、兄弟、祖父母など4、5人の人たちに囲まれ見つめられ、「応答」してもらって育っていた。保育園で、一人の保育士が六人の一歳児を育てるということは、その応答性が、単に6分の1ではなく、人類が本来家庭という場で経験して来た平均の20分の1程度になるということ。それも、家族並みに乳幼児に話しかけてくれる保育士に当たってのことなのです。そのことに親たちも気づいて欲しい。

 そして、今の保育施策はすでに決定的な保育士不足を生み出し、現場に「子どもに話しかけない保育」さえ生み出しているのです。

http://kazu-matsui.jp/diary/2013/12/post-225.html「子どもに話しかけない保育」

 そして、幼児に話しかけない親たちも生み出している。

http://kazu-matsui.jp/diary/2015/01/post-262.html「話しかけない親たち」

 園庭もない保育室で、一日中音楽をかけ続ける保育を見たことがあります。

http://kazu-matsui.jp/diary/2014/04/post-247.html

 政府の幼児の日常を大切にしない、親や経営者の利便性のみを追求した経済優先の保育施策が、乳幼児の過ごす時間の質を考えようとせず、保育園を安易に選択する親を生み出しているのです。

http://kazu-matsui.jp/diary/2014/03/post-241.html

 一歳児の噛みつきと、親身な保育園の奮闘について

http://kazu-matsui.jp/diary/2012/06/post-149.html


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



相の所信表明演説から再び

 「子育ても、一つのキャリアです。保育サービスに携わる『子育て支援員』という新しい制度を設け、家庭に専念してきた皆さんも、その経験を生かすことができる社会づくりを進めます」

 子育てという仕事、労働をやったことある人なら、他の子どもの保育も出来るだろう、という考え方です。労働と子育ては次元が異なることがわかっていない。「家庭に専念してきた皆さんも、その経験を生かすことができる社会づくり」と簡単に言いますが、家庭に専念とは一体どういう意味なのか、イメージを持ってしっかり考えてから発言した方がいい。家庭に専念してきたことが、キャリア的に「他人の子どもを、しかも愛着関係とか発達障害があるかもしれない子どもを含めて6人、4、5才児なら30人、8時間保育すること」に役立つと思っているのなら、あまりにも考え方が甘い。保育を知らない。しかも保育士は、嫌になったから簡単に辞めていい種類の職業ではない。


子育てはキャリアではない。「愛着」の意味がわかっていない。

 




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です