父親だけ集めて、年に数回酒盛りをさせる幼稚園がある。

父親だけ集めて、年に数回酒盛りをさせる幼稚園がある。

お母さんと子どもたちはいなくてもいい。父親同士が仲良くなることが目的なのだ。

「父親同士が知り合いかもしれない、友だちかもしれないという意識を、子どもたちに持たせることができれば、小学校や中学校でいじめはなくなるんです」と園長先生が断言する。( #ママがいいより )https://good-books.co.jp/books/2590/ 

人類の歴史を振り返れば、子どもたちは、血縁をベースに、部族的つながりというか、お互いの子どもの小さい頃を知っている大人たちに囲まれて育ってきた。親身、という言葉が示すように、「親の身になって考えることができる」、それが常識的な子育ての絆であって、それが子どもたちを守ってきた。

この種類の絆は子供にとっての安心感であると同時に、運命を共にする者たちの、利他の「意識」を育ててきた。

「その感覚」を少しでも取り戻すことが、いまの社会には大切なのだと思う。

 

半数近くの子どもが未婚の母から生まれ、実の両親に育てられる子どもの方が少数になりつつある欧米先進国では不可能な「耕し直し」が、この国ではまだ可能なのだ。そう、私は信じている。全ての幼稚園や保育園で、父親同士、母親同士がなるべく知り合いになるように仕向ける、その努力はできるはず。この国ならできる。やっている園がある。

 

 

(保育はサービス産業ではない。子どもが育っていく、体験の場所なのだ。それを意識しないと、その先にある「学校」が持たない。

不登校の子どもが急増している。その増え方が尋常ではない。幼児期の体験から、大人たち(人類)を信用していない小・中学生が増えている。

専門家はもっと選択肢を作れと言う、そんな机上の空論が通る状況ではない。家庭崩壊を進めておいて、その代替施設をいくら作っても、追いつかない。

教師不足のみならず、保育現場、学童保育、放課後デイ、あらゆる所で、人材が不足している、絆の質が落ちている。「社会で子育て」などという言葉と「人材不足」に振り回されて、若者たちが生きる意欲を失っているのです。信じる力がない、だから優しさや忍耐力が育たない。そして、家族を持とうとしない。 )

 

もちろん、父親が全員友達になれるわけはないのです。

「友だちかもしれない」という意識でいい。その記憶が子どもの思い出の中に残れば、それで未来の社会はずいぶん変わる。「市場原理」や「損得勘定」に飲み込まれない、欧米化しない、唯一の先進国になれると思う。

子どもの頃の一人一人の思い出が、いまの社会をつくっていることを思い出してほしい。その時期を、政府が大事にすればいいだけ。

保育や教育が限界に来ているのと同じ論理で、「経済」や「市場原理」はすでに限界に来ているのだと思います。そこから、少し身を引くことが、この国は可能なのだと思う。人間は、子どもを可愛がっていれば、いい人生を送ることができる。それだけのこと。それが、長い目で見て、経済にもいい影響を及ぼすはず。

保育園の遠足は父親同伴、と決めた園もあった。

利害関係のない友だちの価値に、父親たちが気づく。

バザーで物を売るのは父親、と決めた園もあった。

欧米を見ていても、子育てという最も確かな幸せへの道筋から、踏み外すのは男たちが先です。父親から逃げる。早いうちに、祈ること、幼児の存在に感謝することを教えておけば、母親(社会全体)がもっと楽になる。

 

お泊まり保育は、両親ともに参加、という保育園がありました。二百人近いお泊まり保育になる。

すごいなあ。保育園ですよ、保育園。

そういう、親を育てる園の子どもたちは、落ち着いていて、どこか、ちがっているのです。

大人を信じて育った子どもたちが、学校で、苦労しないといいのになぁ、と思う。

その思いが、近頃、妙に切実になってきて、立て直せるのだろうか、と不安になる。

いい子たちほど、辛い思いをする。

できることはわかっているのに、何をやっているんだ、と、逆方向に進めようとする政府の保育施策に、憤りさえ感じる。繰り返しますが、保育はサービス産業ではない。

 

いまなら、まだできる。難しいことではない。

(「ママがいい!」を読んでほしい。もうすでにやっていることがたくさん書いてあります。)

 

 

チャンネル櫻の討論会に参加しました。

 

チャンネル櫻の討論会に参加しました。

「日本政府はなぜ子供と若者に冷たいのか?」というタイトルで、司会の水島さんが、前もって「ママがいい」を読んでくださっていて、ありがたかったです。

初めてお会いする方々ばかりで、ちょっと心配だったのですが、いい話し合いができたと思います。

知識とか情報ではなく、人間は「体験」に基づいて話し合うと、ちゃんと道筋が見えてくる、みんな同じ遺伝子を持っている、と感じました。

いま様々な分断が、始まっているからこそ、みんなで幼児の存在意義を意識すること、確認することが大切だと思いました。

特に、乳児を意識すると、その子達が喋れないだけに、自分の中にある「遺伝子」が、代わりに話し始める。そこがいいのだと思います。

お時間のある時に、ぜひご覧になってください。(以下のリンクから繋がるはずです。)

 

児童虐待、起こらないようにするにはどうするか。

「先日、先生が三原じゅんこ議員と対談されている動画をYouTubeで発見して、新潟県で幼稚園教諭の養成をされている友人にシェアしましたところ、大変に喜んでおりました。」と、メールをいただきました。

七年前の収録は、よく覚えていますが、ユーチューブに載っていたのは嬉しいです。

児童虐待の増加が、テーマなのですが、起きてからどうするか、ではなく、起こらないようにするにはどうするか、について話しています。

以下のリンクで見ることができます。


 

( #ママがいいより )

男は幼児期の子育てに向かない。理屈っぽいし理想論を言うから、と保育園の園長に言われたことがある。幼児たちに必要なのは、「教育」の対極にある、もっと違う種類の理屈を超えた無償の温もりなのだと言いたかったのだと思う。

『逝きし世の面影』(渡辺京二著)に描かれた日本の風景を読むと、江戸の終わり、明治の初めはそうではなかった。日本ほど男たちが幼児と一体で楽しそうな国はない、と当時日本に来た欧米人たちが驚きをもってさまざまな書物に書き残す。

 

(いろいろ、書き続けていきます。FB、友達リクエストなど、よろしければ、お友達に勧めてください。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com へどうぞ。 )

「なっちゃん」

 

(いただいた手紙)

 

「なっちゃん」

 

幼稚園の時に、娘は幼稚園から脱走した(笑)

というよりも、脱走させてもらえたんだ。

大学の附属幼稚園で、敷地が広くて、

幼稚園門から出ても、まだ大学構内。

(幼稚園門から大学正門までも大人でも5分ほど)

 

当時の主事が、他の先生に、

なっちゃんを「こっそり」おいかけるように伝えた。

 

途中、大学内の工事のおじさんは、

工「どこいくのー?」

な「おうちに、かえるの」

工「一人で帰るんだね、頑張って!」

って言ったらしい。(娘談)

 

なっちゃんの小さな大冒険。

おじさんの言葉に励まされ?

大学正門まであるいて、

外に出て信号を渡って…

車がびゅんびゅん…

怖くなったんだろうね。

ずんずん歩いてた足が止まったそうだ。

そのタイミングで、後を追ってた先生が

とんとんと背中をたたいて、

 

先「幼稚園かえろっか?」

な「うん。かえる」

ってなったらしい。

・・・

お迎えの時に、その先生と主事が出てきて

「今から今日あった話をお伝えしますが、

決してなっちゃんを怒らないでください」

って言われて、後をつけた先生が、

なっちゃん大冒険のあらましを

ジェスチャー付きで面白おかしく伝えてくれた。

 

(この先生は、園で一番ユーモアある先生で、

深刻にならない、その先生に頼んだのも主事の計らい)

 

その大冒険の日まで、

何度か脱走劇はあったんだけどね、

(それまでは幼稚園門で、捕まってた(笑)

本人の納得いくまで

やり切らせてくれたからか

それ以降、なっちゃんは脱走をやめたんだよね。

 

そんな主事が、

松居和さんの講演を幼稚園で開催して、

松居さんのお話を私は聞いたのでした。

(by 岩下牧子)

――――――――-

 

ありがとうございます。

「なっちゃん」の話、伝えてくれた人。感謝です。

あの幼稚園でなければ、「園と家庭」が信頼関係で結ばれていなければ、起こりえない出来事でしょう。

子どもたちの毎日を包み込む、大人たちの笑顔と温かい眼差しがなければ、生まれないものがたり。

「はじめてのおつかい」に「こんとあき」を足したような空気感が、ああ、こういう社会だったらいいなあ、と思わせる。

最後に私が出てきて、びっくり。そのつながりが、また格別に、嬉しい。沈んでいた気持ちが、生き返ってくる。

物語が、再び。回りだす。

 

(いろいろ、書き続けていきます。友達リクエストを私にくれるように、友達に勧めてください。( #ママがいいより ))

 

「親は常に一年目だった」

 

保育園で、子どもが初めて歩けるようになる。

園長が「親に言っちゃいけないよ。もうすぐですね、って言うんだよ」と担当に注意する。

「そういう特別な瞬間を親が見ていないことに慣れてしまったら、私たちの仕事が親子の不幸に手を貸すことになるんだよ」。

こんな園長に当たった親子は、知らないうちに人生が変わっている。

保育は仕事ではない。そう自分を戒め、境界線の上を綱渡りのように歩いていく保育士たちから私はいろいろ教わった。

慣れてはいけない。その子の「親」ではないのだから。そう言いながら、園長たちは「本当の保育士」を目指していた。子育ては、親の幸せ。

ある園長が、「一年目の保育士にかなう保育士はいない」と言った。

理屈でも、正論でもない。そんな言葉があたり前のように語られていた時代があった。それを伝えていくのは、聞いた者の責任だと思う。

親は常に一年目だった。不安に襲われる時がある。そこで「専門家に任せておけばいいんだ」という心理に動いたら、保育は絶対にそれを受けきれない。

子育てに不安を感じるのは子どもに関心があるから。

いい親だということ。

絆で不安を解消しようとすることが、温かく強い社会をつくってきたのだ。

( #ママがいいより )

ママがいい!~母子分離に拍車をかける保育政策のゆくえ~

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女性園長たちの勉強会で「子どもに関わる」というテーマで話していた時、

女性園長たちの勉強会で「子どもに関わる」というテーマで話していた時、

ある園長が発言した。

「一歳児、二歳児で噛みつく子がいます。そういう時、私は、保育士を一人決めて、あなたは今日一日この子に関わりなさい、と言います。朝から夜まで十時間、その子につきっきりにさせます。他の子のことは考えなくていい、その子だけに集中させる。子どもが嫌がっても、させます。それを一週間、時には二週間。すると、その子が噛みつかなくなるんです」

すぐさま別の園長が、「それが関わりということ! 四歳、五歳じゃ、遅い。一歳、二歳でそれをやんなきゃだめ。昔はこんなことはなかったんだ」

一人が「関わったら」周りに負担が及ぶ。それでも「やんなきゃ」と言う園長がいるうちに、社会全体が 保育の役割の大きさに気づいてほしい。そして、親たちに子育てを返していく準備に入ってほしい。

(「ママがいい!」より)https://good-books.co.jp/books/2590/ 

 

お年寄りが来て園児を眺める「どうぞのいす」を全園に設置した市がある。お年寄りに毎日眺められている、その風景で治まっていくものがある。そういう視点でそれぞれの自治体が現場と心を一つに施策を考えていけば、この国の将来は必ず整っていく。(「ママがいい!」より)https://good-books.co.jp/books/2590/ 

 

横浜市議会で質問に「ママがいい!」が使われました。

横浜市議会議員の山浦英太さんが、議会の質問で「ママがいい!」を使って、市長に読むように言ってくれました。市長の分も購入し、渡してくれました。

市長も、読みます、と言ったそうです。

これは、本当にありがたい。

市単位なのです、保育施策が動くのは。それほど、地域によって、状況や環境が違う。

本を読んで、異論があってもいいのです。保育の質の低下が、学校教育に影響を及ぼし、教員不足が、もう待ったなしの状況になっている、その理由の一つに、就学前の長時間保育があって、それがどういう動機で国によって進められてきたか、を理解してもらえれば、流れが変わってくる、その可能性はあると思います。

子どもの権利条約や、保育所保育指針にある、子どもの最善の利益を優先する、という、人間の幸福追求の道筋が、市場原理で歪められていること。それでは「いい保育士」はいなくなる、ということ。

政府の少子化対策で、子どもが減り、少子化なのに、児童虐待が過去最高という二つの現象で、国の施策の根本に問題があったことは、本を読んでもらえばわかるはず。

親の意識が、子どもたちと、学校教育を支えない限り、学校は持ちません、保育も持ちません。

立て直したいなら、待ったなし、ですよ、という危機感が伝われば、どうしたらいいかは、具体的に書いてあります。

前の横浜市長は、私が衆議院の「税と社会保障一体化特別委員会」で自民党の公述人をした時に、大日向さんと共に反対側の公述人をした人です。市長が代わって、仕組みをつくる意図が、「大人の都合」から、「子どもたちの安心」の方に変わってくれるといいのですが。

山浦さん、ありがとうございます。

 

 

一昨日は、久しぶりに六百人の保護者にさいたま市で講演しました。この人数になると、コロナもひょっとして終わりに近づいているのではないか、と嬉しくなります。

さいたま市私立幼稚園協会の大会だったのですが、旧知の清水市長さんに、先日の職員の研究大会に続けて再度、会いました。

教育長さんと、一度じっくり話せそうな会話になりました。女性の教育長さんですが、尊敬している人が、東松山市の石川元教育長、という共通点があって、こういう心の「師」を同じくする、というのは、話が早くなってありがたいです。石川教育長は、実は県の教育委員会でご一緒した石川委員長の奥様なのですが、ご自宅に伺った時に、お土産に、自家製のハチミツや野菜をたくさんいただきました。

講演会を聴いた方から感想メールがきました。

「昨日の松居先生のユーモアたっぷりの漫談口調でありながら、データ分析も含めた深い内容の講演。

私の暗黒子育て生活が滑稽に思え、初めて救われた気がしました。

本当にありがとうございました!

子どもと接するのが苦手だった私は、もっと早くお会いしたかったと思えるほど。

本はこれからですが、ぜひ拝読いたします!」

 

こういう連絡は、一番ありがたい。

子育ては、目標を持ってやるものではないのです。まあ、本当は目標を持ったっていいんですが、主体は、子どもたちの存在のありがたさに気づく、幼児期に、自分の人間性を耕してもらう、という種類のものだと思うのです。

一生懸命話して、そのあたりが通じると、伝令役として、子どもたちに褒めてもらえるような気がします。

本を読みました、と、保育園からも講演依頼が来ました。午前中親たち、午後職員で、というのが嬉しい。ほぼ、同じ話です。

来月は、保育士会の研修会でも話します。「ママがいい!」を読んで、頷き、もう一度基本に返り、子どもの最善の利益を考えましょう、と、呼んでくれたのです。

ありがとうございます。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com までどうぞ。)

 

 

「子育ては自由だから」

 

「ママがいい!」という言葉は、ある条件が整った時に生まれる言葉です。

その条件を出発点に、様々なことが起こり、個々の人間と集団が成長し、種の存続に不可欠な絆を作っていった。

人類学的に言えば、家族という、男女共同参画社会の最小単位が「活き」「活かし」続けなければ、獲得できない、勲章のようなものでした。

この言葉を優先すれば、社会は整う、と、私は書きました。

 

この言葉が発せられた時に、「どういう動機が次に働くか」が大切です。それによって社会全体の形が変わってくる。

例えば、その時に「パパはどうなんだ!」みたいな発言が、冗談ではなく、本気で言われたら、動機は競争原理に取り込まれていて、百年前ならあり得なかった。昔は、「そうだ、そうだ、そうだよな」という笑顔があって、その動機は助け合いや調和へ向かうもの。

哺乳類ですから、仕方ない。パパとママは「平等」を競うものではない。

経済界や政府が仕掛けた「子育て支援」という名の労働力の非正規雇用化、11時間保育を「標準」と名付けた誘導によって、この言葉から目を背ける人が増えている。

一生に一度も結婚しない男性が三割に近づき、最近の調査で、男性の17%、女性の14%が結婚しない、と決めているという。

(「一生結婚するつもりない」男女で過去最高…「いずれ結婚するつもり」は最低:https://news.yahoo.co.jp/articles/54b375c4e732c8234bea6a5ded965aa310c15ef4)

これが、政府の「子育て支援」の結果です。

施策の動機が良くないと、こうなる。

 

子育ては大変だから、0歳から預けられるようにする、規制緩和で、旧認可外保育施設にも認可と同様に補助金を出す、無償化にする、様々な「子育て代行」施策を実行した結果、それなら辞めておこう、という若者が増えた。

「子育ては大変だから」というイメージが先行して、子育ての楽しみや、その時間の価値が埋もれていき、むしろイライラの原因のように想像してしまうのです。

そして、想像や予測は現実を変えていく力を持っている。実際にそうなってしまうと、子どもたちには辛い。子どもを実際に育てている保育士たちにも、辛い。

私が、本の中で使った「ママがいい!」という言葉は、保育園や幼稚園の「慣らし保育」で幼児たちが叫ぶ、「願い」から来ているのですが、0歳児から預けてしまえば、それを言う機会さえ失われていくのです。そうなることを、政府が仕組みを作って奨励している。

子どもの最善の利益を優先していない政府の一連の施策は、明らかに、「子どもの権利条約」違反です。条約にはもう一つ、「子どもの意見を尊重する」とありますが、しゃべれないうちに、意見を持つ機会さえ国は奪っている。

その結果が非婚化なのであれば、若者たちの感性は間違っていない。

(「ママがいい!」、ぜひ、読んでみてください。)

 

「嬉しいメール」

(障害児の施設で働くのが好きで、そこで子どもたちとかけがえのない時間を過ごし、でも、繰り返される指示語の強さと、それが発せられる風景に耐えられなくなってある日辞めていった、感性豊かな人からメールが来ました。

いまは結婚して子どもがいます。「子育ては自由だから」という言葉に、彼女が手に入れた世界を感じます。)

こんにちは!

春ですね!お元気ですか?

息子は8カ月になり、人間みたいになってきました。かわいいです。

子育ては祈りの連続なんですね。そして私は親からのたくさんの祈りで大きくなってきたんだなぁとしみじみしています。

施設で働いていたときみたいに、子育てでいろいろな景色をみています。

働くといろんな制約やきまりがあるけど、子育ては自由だから楽しいですね(笑)

寝不足だけどがんばります。

かずさんも講演がんばってください。

(「子育ては自由だから」という言葉が、すがすがしく、心に残ります。多分、私はそういうことを言いたかったのだな、と思います。

永遠とか、生き甲斐とか、責任とか、祈りとか、思い出とか、自分の価値を浮き彫りにする、「本当の自由」がそこにあって、人間は、幼児を抱き、守ってきたんだ、と読み取ります。

こういう言葉に接すると、いい翻訳者、伝令役にならなければ、と身が引き締まる思いがします。)

 

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「稀に見る貴重な書である」と評して頂きました。

「ママがいい!」の出版社の良本さんから、フェイスブックに嬉しいメッセージがあがりました。

ーーーー(メッセージ)ーーーー

川口マーン惠美さん(私の大好きなドイツ在住の作家)が松居和さんの『ママがいい!』を取り上げてくださってます。

(講談社のネットマガジン「現代ビジネス」本日配信) https://gendai.media/articles/-/99859?page=2

今年読んだ本の中でベスト3に入る良書と断言。

日本やドイツに広がる子育ての風潮に対して、マーンさんも疑問を感じておられたようで、本書を紹介しながら、警鐘を鳴らしておられます。ぜひ読んでみてください!

ーーーーーー(ここから私です)ーーーーーーー

記事を読んで、本当に嬉しくなりました。真意を受け止めてもらった、というホッとした安心感が自信になります。

以下、少し抜粋します。ぜひ、本文をネットマガジンで、読んでみてください。

子育て」という仕事が社会的価値を失い、保育がビジネス化される日本に“未来”はあるか

 (講談社のネットマガジン「現代ビジネス」配信)

https://gendai.media/articles/-/99859?page=2

最近、『ママがいい! 母子分離に拍車をかける保育政策のゆくえ』という本を読んだ。私にとって、今年読んだ本のうち、考えさせられたという意味ではトップ3に入るほど重要だった。あるいは、私が漠然と感じていたことを、現場の取材、あるいは統計を使って、ちゃんと代弁してくれた本というのが正しい感想かもしれない。

同著を読むと、今、どうにかしないと、日本は大変なことになるという氏の危機感がもろに伝わってくる。

子供は国家の糧であり、未来だ。子供たちを疎かにしていないかどうか、もう一度じっくりと考え直すためにも、同著は稀に見る貴重な書である。

 

(拡散、リツイート、よろしく、お願いします。)

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「子育て」が鎹(かすがい)

前回、「数字的に、日本はあの三十年が始まる数歩手前、いまの欧米の五十年くらい前にいる。まだ、この国には、利他の心を思い出し、耕し直すチャンスがある。土壌がある」と書きました。

あの三十年とは、アメリカで、ホームスクールを選択する親が、一気に百倍に増えた時のこと。

その前に書いた、「日本の本当の姿を、欧米人が伝えてくれる」では、日本の特別な土壌について、それを「パラダイス」と書き残してくれた欧米人が150年前にいたことを、「逝きし世の面影」(渡辺京二著)から引用し、書きました。

その日本の素晴らしさが、欧米のものさしを国際水準のように言うことで壊されようとしている。

国連の幸福度調査というのがあって、第1位がノルウェー(日本は51位)、しかし、殺人事件の被害者になる確率を比べれば、日本の2倍。レイプにあう確率が20倍なのです。

徴兵もある。

ベトナム戦争の末期に友人たちが徴兵にかかった経験を持つ私たちの世代は、この制度が、国によって強制的に「人権」を放棄させられることだと知っています。モハメド・アリ、ボブ・ディランの世代ですからね、この制度には敏感なのです。

(知り合いの某有名ミュージシャン三人も、徴兵のクジ番号は近づいたとき、戦場を避けるため志願してロサンゼルスの軍楽隊に入った、と話してくれました。銃よりも、楽器を持っていたい、そういう風に生まれた人たちなのです。軍楽隊の指揮官は、大喜びだったそうですが……。)

一年半の徴兵をさほど不幸と思わないようにする「教育」は可能でしょう。ノルウェーでは出来ているのかもしれない。なにしろ、幸福度一位ですから。日本も、過去に、やったことがある。

でも、私は、そういう教育を受けたくはないし、子どもにも受けさせたくない。ボブ・ディランに加え、ビートルズ、ピンクフロイド「The Wall」を聴いていた世代です、教育で幸せのものさしを強要されるのは、嫌なのです。

「となりのトトロ」や「千と千尋の神隠し」を生み、それが圧倒的に支持され、「男はつらいよ」という、無欲の幸福論と家族の絆を提示する映画を続けさまに四十八本も作った、徴兵のない、この国のものさしが好きなのです。

もし、ウクライナのように、理不尽に日本が攻められたら、私も、家族のために闘うでしょう。(もう歳ですが。いや、歳だから?)でも、いまの政治家たちに、自分や、自分の子どもの命を預ける準備や訓練をさせる気はない。

愛国心を言うなら、もっと幼児たちの願いを感じなさい、「ママがいい!」という言葉に耳を傾け、国の将来を大切にしなさい、と彼らに言い続けます。

子は鎹(かすがい)と言いますが、それは即ち「子育て」が鎹(かすがい)ということでした。それを分かち合うのはいい、でも、国がそれを分業にしては、根幹が崩れる、と言い続けてきたのです。

(演奏する楽器からもお分かりになるかと思いますが、私は、この国が好きです。)

 

国連の幸福度調査は、そのものさしが、「欲の資本主義」の真ん中あたりにいる視野の偏った人たちによって決められたのだと思います。

野心的であることが前提の、強者の幸福論になっている。

「欲を捨てることに、幸せへの道がある」という仏教の教えや、「貧しき者は幸いなれ」と説く聖書の幸福論は考慮されていない。金額とか、地位で「成功」を測る人たちの、いわば、ネズミ講のネズミを増やすための計略のようなものです。

輪になってよく踊る、とか、みんなでよく歌う、とか、自分の子どもを可愛がる、とか、祭りでの一体感がすごい、といった、古(いにしえ)の尺度は、ほとんど使われていない。美学が感じられない。

 

 

 

何しろ、日本が51位ですからね。そこに意図を感じます。欧米コンプレックスから抜けられない日本の学者が国連の中にいるのかもしれません。

そんな順位を気にして、11時間保育を「標準」としたのなら、この国も、相当危ない、崖っぷちに立っている。そこなのです。

国の根幹を揺るがす「母子分離策」の裏に、この幸福度調査で日本が指摘される、女性の経済競争への参加率や、政界への参加率が高いほど幸せなのだ、という考え方、そして、欧米に対して「いい顔をしたい」政治家と学者の欧米コンプレックスがある気がしてならない。

私は、国連の馬鹿げた順位など、どうでもいいんです。

ただ、こうした順位が、この国の本来の姿を見失わせる施策につながり、子育てと重なる「利他の幸福論」を忘れさせ、欲の資本主義に取り込むための道具になっているのがわかるから、書く。

(私は、あそこで演奏したことがありますが、その、淀んだ「気」の悪さを、いまでも覚えています。何が、集まってきているのだろう、と思いました。

モルドール「指輪物語」に来たような、と説明すれば、また、「非論理的」と言われるでしょう。

しかし、ベトナム戦争末期に登場人物の賢者ガンダルフを「大統領に!」というデモ行進がアメリカ各地で沸き起こったのを、私は見ている。指輪物語(by J.R.Rトールキン)の内容は、私も含め、あの時代の人間たちにとって啓示的で、二十世紀に最も読まれた文学作品の一つ、とまでいわれるようになった。

そのことが、あの物語が「価値ある指針」を含んでいることを証明している。

人類が目指すのはモルドールではない、「ホビット庄」The Shire だということ。

トールキンは、村社会におけるイギリスの保守的伝統とか、欲得ではない忠誠心に価値を見ると同時に、The Shireと日本を重ねていたような気がする。)

国連の幸福度調査、第2位が、低年齢のシングルマザーが問題になり、傷害事件の被害者になる確率が日本の15倍というデンマークです。

この国も徴兵制を敷いています。

銃の撃ち方を訓練できても、若者に、希望や充実感を与えることも、モラルや秩序を教えることもできていない。ドラッグ汚染率が日本の5倍、という数字を見ればわかります。日本の状況はまだ良い、という比較も大切ですが、それより、この「国連の幸福度調査」の意図するところに気づいて欲しい。

こんな順位と幸福度がグローバルスタンダードになり、押し付けられたり、支持したら、人類は混沌、混乱に陥る。いや、もう陥っている。

ひょっとして51位は、いい順位かもしれない。

デンマークに住む日本人からの情報が、ネット上にありました。

増えているヤング・マザー。幼児期のネグレクトが原因?)、https://blog.goo.ne.jp/ymat123/e/bb58f2461322ae28354e4903cfce961f

「ヤング・マザー」というテレビの番組が人気、とか、「十三歳で母親になる少女が増えており」など、幼児期のネグレクトに関する新聞記事は十二年前の記述ですが、リアリティーを感じる情報です。

「福祉」が必要になった時には、すでに取り返しのつかないことになっている。

この新聞記事の中で、ヤング・マザーにトレーニングを行うハウス長が、若くして母親になった少女の5人に1人が計画的に妊娠していると言い、

「ここに来る若い母親たちは、幼児期にネグレクト(親からの放置)を受けたケースが多いのです。だから、若くして、家族を持ちたい!愛情が欲しい!と思うのです。それは、彼女らが考えた末の、ひとつの戦いの結果なのです」と証言する。

何が、少女たちを「戦い」に向かわせたか、なぜ結果がそうなるのか。

塾から帰ってくる子どもたち

私は、人生の半分の時間を海外で過ごし、アメリカを中心に様々な国を見ました。そして、最近急に悪くなってきたとはいえ、日本は世界で一番いい国だと思っています。

暗い夜道を、塾から歩いて帰ってくる子どもたちを見ると、特に、そう思うのです。

夜、子どもが歩ける国、これは、実は一度失うと二度と手に入らない財産です。そして、塾に行くお金を出す、子どもに関心がある親たちがこれだけいる、というのもいい。

塾で覚えたこと、学校で習ったことは、将来大して役に立たない。でも、なんとなくでいい、子どものために無駄に思えるお金を使う(捨てる)、これができる親たちが、まだまだ居る。

ご飯を用意して待っているんだ、と想像し、嬉しくなります。

親バカは、幸せへの一本道、とある園長が言ってましたが、その通りだと思います。理論でも理屈でもない。親バカである確率が高い国が、いい。

「私が一人で公園に座っていれば、変なおじさん。でも二歳児と座っていれば、いいおじさん。この仕掛けに気づいて感謝しないと、人生の目的を見失います」という私の講演を、ほとんどの人が理解してくれる。

この下地というか、土壌はありがたい。

すごいことだと思います。

トトロの森と、千尋と寅さん、ワンピースとドラゴンボール、こういう不思議な存在の「働き」に、つくづく感謝です。心が清くないと、雲に乗れない。そんな教えを支持する人たちがこれだけたくさんいることが、嬉しい。

(最近世界中で起こっている、日本のアニメブームを見ていると、人類が、何を求めているのか、よくわかります。罠ではない、本当の幸せのものさしを探しているのです。)

保育園や幼稚園で行事があると、親や祖父母がたくさん見に来ます。三十年前より、ずっと増えている。気づき始めているのです、本来の姿に戻らなければ、と。

しかも、(敢えて言いますが)実の親が多い。この国の素晴らしさであり、動かし難い土壌の「エビデンス」。

遥か向こうに、手塚治虫さんや宮沢賢治さん、木喰さん、親鸞聖人、等々、(個人的には、ローラ・インガルス・ワイルダー、アストリッド・リンドグレーン、ローズマリー・サトクリフ、等々)沢山の先人たちが居られます。

自然治癒力を高め、そよ風に吹かれていることを幸せと感じるようなものさし、自浄作用を残してくれた人たちに感謝しなければいけません。本当に、ありがとうございます。

いただいたものを伝承する役割を果たせますように……。

コロナ禍から復活した、阿波おどりの「総踊り」をユーチューブで見ました。

 

ああ、これだ!

と、心が震えました。

この国は、立ち居振る舞いを忘れていない。

つながらなければいけないものと、つながる術を知っている。

先導してきた鳴り物の人たちが、両脇に退き、女踊りを迎える。

見えてくるだけで、涙が止まらない。

この人たちのお陰だ、とわかる。

阿呆な男たちを従えて、整然と行く美しさに、ありがたさがある。

男女は、賢さを競うのではなく、それぞれに、阿呆さ、を競う。子どもたちのために。

この国が51位なら、それで結構。

同じ阿呆なら、踊らにゃ、損、と思うのです。

(続きます)

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