「女性らしさ」のおかげ

前々回、金沢市での講演会のお知らせの、一つ前に、

「男女平等、日本125位=順位落とす、先進国最下位―国際調査」~政治や経済の分野で遅れが目立ち、先進国では最下位だった~。https://sp.m.jiji.com/article/show/2966296?free=1という報道について書きました。

政治や経済の分野に参加する女性が少ないことを「遅れている」として、それに疑問を抱かせない。マスコミのこうした姿勢が、国全体に欧米コンプレックスを植え付けてきたように思います。

遅れていることがいいこと、とは誰も言わない、

男女平等、日本125位の国が、GDP世界第三位なら、国のあり方としては、逆に良かったのではないか、と考える方が論理的なはず。

しかも、日本の女性の平均寿命は世界一です。

「政治や経済の分野で遅れが目立ち、先進国では最下位だった」と記事が指摘するように、この「国際調査」が示す順位や平等の概念は、「欲」の強さの順位づけであって、利他の幸福感とは真逆にある価値観が働いている。

だから、「子育て」「母性」と対峙するのです。

平等を目指す道筋には、欲を満たす方向性と、もう一つ、欲を捨てる方向性がある。

経済は、前者の物差しで活性化しようとし、成功に安心を求めますが、結論から言えば、例えばアメリカなら数パーセントの人が95%の富を握ることになってしまう。極端な格差を生む。多くの人が不安を抱えて生きる社会になる。アダム・スミスは、その不安と不満が資本主義のエネルギーと言ったのですが、そんな呑気なことを言ってられないほど負のエネルギーは蓄積し、人類は、「欲望の時代」と呼ばれる対立の「時代」に入ってしまった。

一方、仏教など、主要な宗教は、後者の道筋、欲を捨てる方向性を教えの基本とします。「利他」の心構えを、より確かな、万人に可能な、平等への物差しとして勧めてきたわけです。

前者が、獲物を求めて狩りに出る男たちの手法とすれば、後者は、子育てをする母性的な道筋と言ってもいいかもしれない。

古人類学では、男が狩りに出かけ、女が残って子どもを育てるという「性的役割分担」が人類に家族という定義を与えた、と考えるそうですが、言い換えれば、「性的役割分担」が薄れた時、人類は、家族、家庭という定義を失っていくのです。そして、この「家族」という単位が維持できなくなると、個々の欲を鎮めるのが困難になり、「欲の資本主義」にさらに惹かれていく。

子育てに時間を使っている女性を、生産的でない、と見下す欧米の「調査」など無視すればいい、日本の文化と伝統を愛したスティーブ・ジョブスが天国でそう言っている気がします。

保育科の学生が、「なるべく母親が育てたほうがいい」と答案に書いたら、勉強不足、と不合格になったそうです。

私が師と仰ぐ園長先生たちは、言っていました。

「保育は五歳まで。二十歳くらいまで見るなら別ですが、一生続く親との関係が一番大切です。長時間預かるなら、そのことを親に言い続けなければ、保育ではありません」。

「子どもの最善の利益を優先する」という保育指針の柱が保育科の授業で壊されていきます。福祉はサービス、親のニーズに応えるのが保育、と学生たちが市場原理の一部になるように仕向けられている。

一部の学者が、保育に、ジェンダーフリーという「大人の利権争い」を持ち込んだことで、「女性らしさ」で成り立ってきた保育界が「心の根腐れ」を起こし、混乱している。

子どもたちは「ママがいい!」と毎年、慣らし保育の度に言っている。「子ども真ん中」と言うなら、まず、その願いの尊重からスタートすべきでしょう。

政治家や学者たちは、どうしてその叫びをここまで無視できるのか。それに慣れることは、私たちが幼児に見捨てられることです。

子どもの権利条約に、「できる限り父母を知り、父母によって養育されること」が権利として書かれ、

児童の権利宣言:第六条には、

「児童は、その人格の完全な、かつ、調和した発展のため、愛情と理解とを必要とする。児童は、できるかぎり、その両親の愛護と責任の下で、また、いかなる場合においても、愛情と道徳的及び物質的保障とのある環境の下で育てられなければならない。幼児は、例外的な場合を除き、その母から引き離されてはならない」と書かれた。

その権利が、家庭崩壊の流れを「機会の平等における『進歩』」と解釈する学者たちによって、子どもたちから奪われていく。

「もう、そういう時代じゃない」「日本は遅れているんです」、「もっと勉強しなさい」と言って、「なるべく母親が育てたほうがいい」と答案に書いた学生の心が、保育科で教える教授によって、不合格とされる。「社会で子育て」など出来ないことは、すでに結果が証明していて、それが義務教育に連鎖していると報道されているのに、母子分離を目指す政策が止まらない。こども未来戦略会議が言う、「こどもを安心して任せることので きる質の高い公教育を再生し充実させること 」など、もう無理なのです。親に返し、子どもたちが親を育てる力に望みを託すしかない。公教育は、親が親らしい、という前提の元に作られているのです。

権利宣言にある「愛情と道徳的及び物質的保障とのある環境の下で育てる」ことは、パートで繋いでいい、五日間で取れる「子育て支援員」の資格でいい、それさえもなくていい、という規制緩和の元で、できるわけないでしょう。それが、わかっていて、

人間性の本質に関わる問題に、一律に「合否の判定」を下す教授がいる。

この仕組みは一体何だろう。時の政権、政策の都合で動くのが学問の常とはいえ、この教授のやり方は傲慢であるだけでなく、稚拙だと思う。

人生は思うようにはなりません。

母親が育てることができない場合もあるだろうし、子育てから離れ、違う道筋を、自らの決断として選ぶ人がいて当然だと思う。ダーウィンの法則の一部でしょう。

しかし、

保育科にくる特別な、と私は思いたい、女性たちの、新鮮な、いわば一年目の母にも似た願いが、一律に「学問」で打ち消されるところを目の当たりにすると、腹立たしくなり、寒々しさを感じる。

「勉強なんかしなくていい」と思わず、教室から連れ出したくなる。

私が尊敬する園長たち(女性たち)の半数は保育資格を持っていなかったと思う。土地を提供することで始まることが多かった草創期の事情で、園長先生に資格は要らなかったのです。オルガンで一曲だけ弾けますよ、と笑う人も居ました。子ども好きな女性が、子どもたちに鍛えられ、親たちを見張り、様々な人生に寄り添い、日々一緒に育っていった。

やがて、その一帯の守り神のようになって、歩いているだけで、親たちが鎮まる、そんな光景にあちこちで出会いました。

その道祖神のような方々が、日本の保育界と「子どもたちの願い」を重ねていたのです。

11時間保育を標準と名づけた上に、就労規程を取り払い、「誰でも入れる保育園」を目指す政府の戦略、慣らし保育なしで最長7日間まで預けられる「子どものショートステイ」(生後60日から十八歳未満対象。育児疲れ、冠婚葬祭でもOK。一泊二千円から五千円)を、「圧倒的に整備が遅れている」と言ってしまう「方針」の背後に、この道祖神たちとは別次元に住む、学問でしか子育てを見ない、子どもに同情しない「専門家」たちがいて、「こども未来戦略」を立てている。

内村鑑三は、「教育で専門家は育つが、人は育たない」と百年前に言いましたが、産業化した高等教育は、すでに市場原理に取り憑かれている。

保育界には、その物差しを持ち込まないでほしい。

 

私が渡米した1980年代前半、米国で刑務所に収監されている女性は二万六千人でした。四十年後の現在、二十三万人になっている。そこから、人類に何が起こっているか感じてほしいのです。

増加率は男性の二倍、そして、母親が半数を超えている。

未婚の母から生まれる子どもが四割、首都ワシントンDCでは、六割の家庭に「大人の男性」がいない。実の父親という言葉はすでに歴史の中に葬られ、父親像を持たない子どもは五、六歳からギャング化する、という研究発表もありました。

仕組みが子育てを代行することで、男たちが無責任になり、心を鎮めるチャンスを放棄してゆく。そして、優しさや忍耐力が社会から欠けていくと、貧困、薬物戦争、性差別、が女性たちを直撃するのです。

そのフィールドに三十年住んでいた私には、そこで起こっていることが、日本の保育現場と重なって見えるのです。

 

「こども未来戦略会議」は、「こどもがいると今の趣味や自由な生活が続けられなくなる」といった背景を指摘するより、平等という言葉に隠された大人たちの「利権」争いが、子どもの人生をどう巻き込んでいくか、アメリカの女性の囚人の増え方から、考えてほしい。

(「自由な生活」が何を意味するか知りませんが、子育ては自由を失うこと。その、自由を失うこと、自由を捧げることに、喜びを感じるのが人間でしょう。それを体験的に知るために、幼児を可愛がる機会を増やしていくべき時代に、この「こども未来戦略会議」は一体何を目指しているのか。この国から人間性をなくしたいのか。)

一人ひとりの欲が、自分の子どもを可愛がることによって抑えられないと、家族という単位が機能しなくなる。福祉や教育では絶対に補いきれない。一時的に経済が活性化しても、自由が手に入ったように思えても、次にあるのは、不満が一瞬のうちに暴動につながっていく、自浄作用を失った社会なのです。

アインシュタインもドラッカーも指摘したように、日本は特殊な、選ばれた国です。

アインシュタインはその民族性を調和の美しさ、と言い、ドラッカーは経済発展にもそれが有効だったと指摘した。しかし、二人は外国人ですから、私たちが知っているこの国の真髄までは感じ取れない。その真髄は、子どもたちとの一体感なのです。そして、この国をまとめる力は、母性、そして祖母の視点だった。

調和の原点が元々そこにあったから、保育という領域で、この国の特殊性は際立ち、「女性らしさ」によって維持されてきたのです。

 

いま、政府が進めている母子分離による経済政策の愚かさは、この国の民族性、美しさと柔軟性を、税金を使って葬ろうとしていること。一度失ってからでは、手遅れになる。

幼児たちは「ママがいい!」と言っている。この子たちの偽りのない「警告」を聴くだけの文化と伝統が、この国には残されているはず。どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

(ブログは:https://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。

日本の魅力を理解する外国人が増えています。アニメやJ-popの影響もありますが、落ち着いた「文化」そのものに惹かれる。風景とか空気感が、世界中の国々と比べて穏やかでバランスが取れているのです。それほど欧米の状況が不安定になっている、ということでもあるのです。欲の資本主義に支配されていない、この国の個性が、世界中の混沌の中で際立ち、人間を魅きつけるのです。

いい国、なのです。

遅れていたって、構わない。この国を大切にしなければいけない。)

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまで、どうぞ。

 

 

父の遺品と言葉

 

 

先月13日の読売新聞夕刊に、去年逝った、父の遺品と言葉が載っていました。
「母親が自分に読んでくれると言うのは、子どもにとって最高のことです。」(「私の言葉体験」から)

妹、「わにわに」の小風さちさんが、「人形に、幼い頃の自分と母親を重ねていたのかもしれません」とコメントしていました。
絵本も、児童文学もそうですが、何度も何度も読んでもらえる、繰り返し読めるのは、それが「体験」だからです。情報だとしたら、一度でだいたい覚えてしまうし、話の筋も、会話も知っている。
何度も読めるのは、生きた「体験」だからなのです。
私も、ドリトル先生などは、一冊につき5、6回は読みました。「秘密の湖」のあの神秘的、哲学的深さは、いまでも肌触りとして残っています。長靴下のピッピもそうですし、「飛ぶ教室」「太陽の戦士」「農場の少年」「トムは真夜中の庭で」「カラスが池の魔女」、私が思考する中核に、繰り返し読んだ児童文学の体験がはっきりとあります。
児童文学をたくさん読んでいれば、大人の誤魔化しには騙されない、そんな感じです。

アインシュタインが、情報は知識ではない、体験が知識なのだ、と言いました。わかる気がする。

その体験の根っこに、母親に読んでもらう(もちろん父親でもいいのですが)読み聞かせの体験があって欲しい、と父は思っていたのです。
こういう時代だからこそ、もう一度「読み聞かせ」を復活させてほしい。幼稚園、保育園で、親たちに薦めて欲しい。「一日一冊読んであげても、十分くらい。それが母親の言葉として記憶に残っていくんですよ」と教えてあげてほしい。それを、毎日積み重ねていくと、親子でした「体験」の土台が作られていく。こんなに便利な「道具」はないのです。

この時期の体験は、この時期しかできない体験です。お母さん、お父さんも新米で、子どもは、もうキラキラして親を信じている。そういう時に、人間社会の基本が出来上がっていくのです。

 

講演会のお知らせです。

石川県の金沢市て行われる、日保協青年部の研修会です。

対象者限定ではありますが、「県内外の各施設の施設長・園長、副園長、主幹保育 教諭、現場の保育士など 」となっています。申し込みが必要ですが、無料です。ぜひ、ご参加ください。

日保協の青年部が動いてくれるのは嬉しい。二代目三代目の若手園長たちに、母上、祖父母園長からの伝言を伝えるのは、四十年前から様々に教えを受けてきた私の役割りのような気がします。

今、保育界は政府の「保育は成長産業」とか、「誰でも保育園」とか、パートで繋いでもいい、11時間保育が「標準」などという規制緩和で揺らいでいます。

この仕事の「心」を、伝承しなければなりません。

子どもの最善の利益を優先する、という保育指針ならびに国連の子どもの権利条約を真ん中に置いて考えれば、混乱している保育界に必ず道筋が見えてくる。園と家庭が一体になって子育てができるように、子どもたちのために、保育士たちのために、現場が、立ち上がってほしいのです。

(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.com まで、どうぞ。)

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日本保育協会石川県支部青年部研修会

   ママがいい! ~園と家庭の相互協力を目指して~

令和 5 年 10/6(金)15:00~16:30 

金沢市文化ホール二階 大集会室 〒920-0864 石川県金沢市高岡町15 

県内外の各施設の施設長・園長、副園長、主幹保育 教諭、現場の保育士など 100 名

https://forms.gle/txkW8xYQwnraeYgG7 :1 名につき 1 回お申し込みください 

 

日本は遅れている?

日本は遅れている?

 

「男女平等、日本125位=順位落とす、先進国最下位―国際調査」~政治や経済の分野で遅れが目立ち、先進国では最下位だった~」https://sp.m.jiji.com/article/show/2966296?free=1 という報道がありました。

政治や経済の分野に参加する女性が少ないことを、「遅れ」とし、疑問を抱かせないように報道する。

順位を落としている事実から、日本の女性たちの意志、選択の自由を読み取ろうとはしない。

この手の報道を目にする度に、マスコミや経済学者は、意図的に、「女性らしさ」という個性を、経済競争の活性化・「一億総活躍」のために見下し、失わせようとしているように思えてならないのです。

それに気づき、本当に、それでいいのか、という素朴な疑問が、「順位を落とす」という現象に現れているのではないか。

日本の女性たちは、政府が主導する無謀とも思える保育の量的拡大から、その真意に気づき始めている。「ママがいい!」という言葉を覆い隠すための規制緩和を容認、追認してきた学者や専門家たちの不誠実さを見抜き、不信感を持ち始めているのではないか。

そうであってほしい。

立ち止まる、としたら、今しかない。

 

近頃、欧米を覆う、異常とも云える家庭崩壊と、それに伴う児童虐待、簡単に火がつき暴動にまで発展する「犯罪率」、格差の拡大を考えれば、「遅れていること」は良いこと、と思っていい。 子どもを守るとしたら、自分しかいない、という気構えが、日本の母親たちに戻ってきているのだとしたら、この国は、独特に踏みとどまるかもしれない。

そもそも論ですが、「男女平等、125位」の国が、世界第3位の経済大国なら、それが良かったのでは、と分析する学者や、エビデンスに基づきその視点を報道をする記者が、一人、二人は、いてもいい。

性的役割分担が、この国を経済大国に押し上げたと理解している学者は、たぶんいるはず。しかし、「報道されるか、されないか」で思考の価値、社会の流れが決まってくる時代がしばらく続いたのです。

それが最近、ネット上の新たなコミュニケーション手段によって、変化し始めている。

私の本、「ママがいい!」は、SNS、口コミなど、自発的な情報拡散に支えられています。

タイトルのせいか、マスコミは一切、書評も載せないし、報道もしない。しかし、園長先生たちから、「タイトルを見て涙が出ました」と感謝され、「やっぱり自分の決断は間違っていなかった」と心が揺れていた母親からメールをいただき、一年間で、5刷りまで来ました。図書館で順番待ちになっている、と聞きます。

幼児たちとの時間は、駆け引きのない輝かしい時間で、それに応えることは、人生を形づくる「活躍」なのだ、と、この国は気づき始めている。

 

話を戻します。

世界第3位の経済大国である上に、日本の女性の平均寿命は世界一です。

「夢を持ちましょう(欲を持ちましょう)」という言葉に騙されず、人間が一番幸せになりやすい方法を見極め、「子どもを可愛がる」、「子どもを優先する」という「利他の本筋」を選ぶ女性が先進国の中では奇跡的に多い、それが、精神的にも良かった、と考える文化人類学者がいていい。

この国には、世阿弥や芭蕉が種を蒔き、宮沢賢治や手塚治虫が耕し、宮崎アニメまでつながった「欲に、静かに背を向ける」文化と土壌が確かにまだある。最近、アニメなどを通して、世界の若者たちの憧れにもなって、惹きつけている。

そこまで考えると、「男女平等、125位」、しかも「順位を落としている」という日本の女性の意志と選択が、人類の持続性の鍵を握っているようにさえ思えてくる。

 

政府の、こども未来戦略会議の「こども未来戦略方針」https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001112705.pdf の冒頭に、基本的考え方として、

「急速な少子化・人口減少に歯止めをかけなければ、世界第3位の経済大国という、我が国の立ち位置にも大きな影響を及ぼす」と書いてあるのですが、母性はこういう考え方をしない。「我が国の立ち位置」より、我が子の「はじめの一歩」に驚きと、喜びを見出す。そこに宇宙の動機を感じる。

しかも、この「急速な少子化・人口減少」は、今まで政府がやってきた、現場の保育士たちの人間性さえ追い詰める、利他の幸福論を無視した、母子分離策(少子化対策)が原因なのです。

乳幼児を抱っこする時間の価値が貶められていった結果です。

アインシュタインが、美しさ、と評したこの国の性的役割分担に基づいた「調和」が、実は経済面でも「平等」に勝る道筋だったと主張する経済学者は、いつになったら現れるのか。「こども未来戦略」の中には、その兆候さえ見えません。

学者たちの「欧米コンプレックス」が根本にあるのでしょう。「平等」という言葉に縛られ、思考停止になっているのかもしれない。

ネグレクトの勧めとも言える(慣らし保育なしの)「子どものショートステイ」を、「圧倒的に整備が遅れている」と言う人たちです。保育士が足りなければパートで繋げばいい、と規制緩和をする人たちが、「戦略」(策略)を練っている。

経済競争から「作法」が消えれば、ただの「喧嘩」です。その風景が、世界中に広がっている。

そのことに気づいてほしい。

(「ママがいい!」、それは、子どもたちだけではなく、現場からのメッセージでもあります。その言葉に救われ、人生を見る視点が変わった親たちのことを、本に書きました。ぜひ、友だちに薦めてください。子どもたちの願いを拡散してください。)

 

講演会のお知らせです。(西東京市です)

 「市内在住者、及び市内幼稚園の保護者対象」なのですが、西東京市に住んでいる方は参加可能のようです。また、一般の方が参加できる講演会がありましたら、フェイスブックやブログに載せてお知らせします。
 「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。アインシュタインやスティーブ・ジョブスだけでなく、日本の魅力を理解する人たちはたくさんいます。私たちも、この国の「子どもを可愛がる」個性と伝統を信じて、仕組みを立て直す時なのです。
 子どもの悲しみは、大人の責任、そう自戒し、子どもの成長に人生の生き甲斐を見出すことは、人類の生き方としては、「王道」でした。
 その道を選ぶことに関しては、日本は、先進国の中で最も平等な国です。半数近くが未婚の母から生まれる欧米に比べ、父親がまだ家庭にいる確率が非常に高いのです。背中をちょっと押してあげれば、男たちが、幸せになるチャンスをまだ持っている国なのです。
 政府や行政がやらなくても、現場の保育者一人ひとりの決心で出来ることがたくさんあります。子どもにとって、保育は、常に一対一、守ってくれる人は、目の前の人。
 コロナが明け、幼稚園、保育園での講演が増えました。
 二年以上中止になっていたため、親たちを巻き込む「行事」、親たち自身の伝承で、ビオトープのように回っていた催しを復活させるのは、なかなか大変です。幼稚園や保育園のいいところは、全員がいっぺんに卒園するわけではないところ。やった方かいいいよ、というアドバイスが口伝となって、親の育つ歯車が回り始めることです。
 私の講演をきっかけに、もう一度エンジンをかけ直そう、と呼ばれるのです。録画してもらい、来なかった人たちに回覧してもらい、園のホームページに上げてもらいます。
 園長先生の尽力で、役場の人、助産師さん、近所の学校の校長先生、民生委員の人、理事長の説得で、市長や教育長が来てくれたりします。
 一緒に聞いてくれると、地域に筋が通るような気がします。親心のビオトープの大きさが、ひと回り大きくなるのです。
 講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。小学校のPTAからも依頼が入ります。感想文に、十年前にこの話を聴いていたら、と書かれます。

「安野先生の不思議な学校」

夏季特別展「安野光雅美術館コレクション
安野先生の不思議な学校」特設展示
があります。

明石市立文化博物館

7.22 sat – 8.27 sun
この巡回展において、明石市では、
「松居直 と 松居和 、そして その学校 」という枝分かれした企画展があります。
〜本展は、夏季特別展「安野先生のふしぎな学校」のごあいさつにある 「(安野光雅の)教え子の父であり、福音館書店に勤務していた松居直と の出会いをきっかけに、42歳の遅咲きではありましたが、絵本作家とし てデビューを果たしました」に着目し、教え子である松居和、教え子の父 である松居直、そして出会いの場となった学校について紹介します。 〜
小学校での授業と、家にたくさんあった児童文学、そして、その後のインドの村での生活は、今でも、私の考える原点になっています。安野先生とのお付き合いは、六十年間続きました。

 「ママがいい!」、5刷りになったようです。口コミ、SNSが頼りの拡散ですが、図書館でも順番待ちだそうです。ありがとうございます。まだ、間に合うかもしれない、と思います。よろしくお願いいたします。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。小学校のPTAからも依頼が入ります。感想文に、十年前にこの話を聴いていたら、と書かれます。)

(お知らせ)
 フェイスブックのフォローという仕組みがオンになっていないようです、というご指摘を受け、やっとオンにできました。アドバイス、ありがとうござました。

こども未来戦略

発表された、政府のこども未来戦略会議の「こども未来戦略方針」(令和5年6月13日閣議決定)、https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001112705.pdf  に、こんな文章がありました。

 「今後、インド、インドネシア、ブラジルといった国の経済発展が続き、これらの国に追い抜かれ続ければ、我が国は国際社会における存在感を失うおそれがある」。

そんなことどうでもいい。こういう「動機」を保育施策の冒頭に書く、この会議の無神経さ、馬脚を表すとはこのことです。

「国際社会における存在感」など「架空」の現実。この国の保育、教育の混乱を考えれば戯言(たわごと)に過ぎない。

「それどころではない!」。

幼児たちが、その存在感を失おうとしているのです。

人類規模で見れば、この西洋的な「競争意識」が原因で、家庭に対する弾圧、迫害、人類史上最悪と言われる「一億人を超える難民」の問題が生じているのです。子ども中心のミクロの現実が肌触りを失い、経済や情報中心のマクロの欲と利権に押し潰されようとしている。

「利他」の幸福論が希薄になっていく。

「国際社会における存在感」のために、「ママがいい!」という子どもたちの願いが存在感を失い始めている。

「こども未来戦略」には、子どもたちが可哀想、という人間的な意識がまるでないのです。「可哀想」という言葉が、保育界で禁句になっていったように、経済主導で、社会から「人間性」が失われていく。

母子分離が原因と思わざるを得ない「学級崩壊」で教師たちが病み、職場から去っていく。そんな中、「二人目は無償、そうすれば子どもが輝く」という、意味不明な発言が、都知事の口から飛び出した。母子分離で「子どもが輝く」それが「チルドレンファースト」なのだという。この荒唐無稽な論理の飛躍を、マスコミがそのまま報道する。

「急速な少子化・人口減少に歯止めをかけなければ、世界第3位の経済大国という、我が国の立ち位置にも大きな影響を及ぼす」。(こども未来戦略方針)

経済財政諮問会議がこれを言うのはいい。言わせておけばいい。赤ん坊を抱き、じっとその顔を見つめる時間の価値、深さなど、わからない人たちなのだから。

しかし、現場で最前線に立つ保育士たちに読ませる「こどものための、国の未来戦略」に、これを書けば、何を言ってるんだ、あんたたちの「子育て放棄」につながる「少子化対策」が急速な少子化を生んだのでしょう、あんたたちがこの国の立ち位置を崩したんです、自業自得でしょう、と園長たちは思う。

(「ママがいい!」を読んでみてください。現場と政府との「子どもたちの扱いを巡る」闘いは、30年前から始まっている。政府の子育て支援は、「子育て放棄支援」だと、園長たちは言い続けてきたのです。)

いい保育をしても、週末二日間家庭に返すと、月曜日、また噛みつくようになって戻ってくる。やっとお尻が綺麗になったのに、真っ赤になって戻ってくる。48時間、オムツを一度も替えないような親たちを作り出しているのは、自分たちなのではないか、そのジレンマの中で保育士たちは、30年やってきました。現場の気持ちに対する無知さが、仕組み上の「空白」と「軋轢」を生み出し、巡り巡って、保育士や教師たちのやる気を削いでいったのです。

この「こども未来戦略方針」の中に、「ショートステイは年間約 0.05 日、圧倒的に 整備が遅れている」という文章を見るとき、その「非認知能力の欠如」に愕然とするのです。

厚労省が10年以上広めようとしている、「子どもショートステイ」。慣らし保育もせずに、子どもを養護施設などで預かる宿泊保育制度は、最長七日間、冠婚葬祭、出張、育児疲れでもOKだという。

人間は普通、そういうことをしない。色々事情はあっても、国が、こういうことをしていいんだ、と言うべきではない。私はそこに「一億総活躍」の残像を見るのです。ネグレクトの入り口になりかねない、まるで罠のような仕組みです。〇歳児保育の推進、「生産性革命と人づくり革命」の核心がそこに現れる。彼らにとって保育、「人づくり」は、「労働力人口」づくりに過ぎない。

子育ては、可愛がること、大事にすること、その幸せが社会に根付くこと、という本質が微塵も感じられない。

対象は生後60日~18歳未満、一泊三千円~五千円。「年間約 0.05 日しか利用していない」という日本人の良識にホッとしますが、それを「圧倒的に 整備が遅れている」と結論づけた戦略会議の思惑が、あまりに露骨で、稚拙です。

いま、起こっている、それを受ける側の人材の質の低下を考えれば、子どもたちが未来の時限爆弾になるかもしれない体験、出来事、扱いが、この「仕組み」の中で起こる可能性は十分にある。現場の整備、人材の質の向上など不可能な状況で、「思いつき」を既存の施設に丸投げする。その手口を習慣化したのは、政府の「母子分離に基づく、一億総活躍」政策です。

政府のこういう扱いが、体験として乳幼児の脳にどう刻まれるか、まるで考慮していない。閣議決定した政治家も含め、この「会議」の見識の無さに驚きます。「圧倒的に 整備が遅れている」のは、「圧倒的に現場を知らない」、「ママがいい!」という言葉に耳を貸さない政策集団の質と、感性でしょう。

「戦略」に

「どのような状況でもこどもが健やかに育つという安心感を持てる」ようにする、と書いてある、その手段の一つがこのショートステイなのです。

「どのような状況でもこどもが健やかに育つ仕組みなどあり得ない」、そういう基本的なことを言っても理解しない人たちです。

初めて笑って、初めて歩いて、その姿を周りの人たちが眺めて、一生の絆が生まれていかなければ、健やかに育ったことにはならない。安心感という言葉の意味をわかっていない人たちが、「戦略」を立てている。

国連の子どもの権利条約には、「親(特定の人)を知り、その人と十分な時間を過ごすことの大切さ」が、「権利」として書かれます。ユニセフの『白書』には、三歳までの、親や家族との経験や対話が、のちの学校での成績、青年期や成人期の性格を左右する、とあります。WHO(世界保健機関)は、「人生最初の千日間」がその時期に最も発達する人間の脳にとっていかに大切かを言い続けている。

人権侵害とも思える子どものショートステイを、「圧倒的に整備が遅れている」と言う人たちが、「子どもの育ち」と「親の利便性」をすり替え、「こども誰でも通園制度」を進めているのです。現場が引き受けられないことを政府が約束し、親の責任回避を煽り、子育ての第一義的責任をますます曖昧にする施策を作っている。国中で、そのことに気づいてほしい。(マスコミがやらないので、シェア、リツイート、コピーペースト、お願いします。もう時間がない。)

こういう政府の姿勢、経済主体の「一億総活躍」の流れが、保育現場における虐待、教師による生徒いじめ、介護施設や精神病院による非人間的行いを生んでいる。

「ママがいい!」という言葉を直接受け止め、心を痛めている保育士たちは、「無理なものは無理!」と決起してほしい。11時間、子どもを母親から引き離すのは、可哀想だ、と、もう一度強く思ってほしいのです。保育者たちが人間性を取り戻せるか、そこが、子どもたちの最後の砦となっている。

配置基準を(75年ぶりに)、1歳児は6対1から5対1へ、4・5歳児は 30 対1から 25 対 1 にしても、親たちの意識の変化を考えれば30年遅い、まったく手遅れ。乳児からの母子分離推奨によって、愛着障害と思われる子どもが増えすぎているのです。

もちろん、やった方がいい。でも、その分、保育士が必要になる。少子化で相殺されても、0、1歳の園児数を減らさない限り、実質効果はない。親の責任、という意識が復活してこない限り、保育士たちは納得しないし、健全な保育環境は還ってこない。11時間保育=「標準」に始まり、保育はパートで繋いでもいいなど、ここ数年間に行われた、国の規制緩和は、「子どもの最善の利益を優先する」という保育指針を読んだ保育士たちに対して、全く説得力がないのです。

保育の質を軽んじる「規制緩和」と、弱者に「ママがいい!」と言う機会さえ与えない異常な母子分離施策、そして保育のサービス産業化が、

「新任教諭の退職、公立校で相次ぐ。精神的な不調、東京では理由の4割」https://www.asahi.com/articles/ASR6N4TFKR5YUTIL00R.html

という現状を生んでいるのです。

経済財政諮問会議の元座長が、「〇歳児は寝たきりなんだから」と私と園長たちの前で、言ったことがあります。この人たちは、保育を飼育くらいにしか考えていない。

「子どもたちの気持ち」を考慮しない「戦略」で、これ以上、学校を追い込むのはやめた方がいい。

 

世界第3位の経済大国だったら、もうそれでいいでしょう。インド、インドネシア、ブラジルが私たちを抜いていったら、良かったね、うまくやるんだよ、と祝ってあげればいい。

上にいるのはアメリカと中国という、絶対に真似してはいけない二つの国。何度も数字をあげてブログに書きましたが、日本は、子どもを大切にする、安心して育つ環境という点では、悪くなってきたとはいえ、先進国の中で一番いい国です。

今年になって、世界第1位の経済大国アメリカで、四人以上が撃たれる乱射事件が、毎日二件以上起こっている。毎年養子となった子どものうちの2万5千人が捨てられている。「捨てられる養子たち」NHK BSドキュメンタリー:https://www.facebook.com/watch/?v=1820006938239263 をぜひ、見てください。人間社会は、ここまで行く可能性を持っている。

一位になどならなくていい。

「戦略」を読むとわかりますが、政府は、子どもたちが可哀想、と思う気持ちを社会から消したいのです。

学者や政治家は、母子分離が経済発展に必要だ、と、頑なに思っている。それを「平等」という言葉で覆い隠し、「利権と欲」が操る「一億総活躍」という戦略に、母親を引き込もうとしている。

彼らにとって、子育てをしている母親は、「活躍」していないのです。「労働力人口」の定義にさえ入っていない。(祖父母の気持ちも、「子どもの未来戦略」からは見事に消えている。)

母親たちが、人間社会のバランスを保ち、人生の価値を浮き彫りにしてきたことがわかっていない。慣らし保育で、なぜ、ほぼ全ての子どもが、「ママがいい!」と言うのか、母親を選択するのか、子ども未来戦略会議は理解すべきです。慣らし保育の現場に足を運び、そこで子どもたちの叫びを聴き、自分の人生と、この国が失った幼児との時間を体験的に、感じるべきです。

経済重視に偏りすぎた、子育ての仕組みを、作り直す時です。

 

(ブログは:https://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。シェア、リツイート、コピー、拡散、よろしくお願いします。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。推薦してください。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。政府や行政が、身勝手な「戦略」を立てても、現場の保育者一人ひとりの決心で出来ることがたくさんあります。子どもにとって、守ってくれる人は、目の前の人。よろしくお願いいたします。)

 

 

保育「業界」のモラルの低下

保育「業界」のモラルの低下

「こども誰でも通園制度」は海外では常識、という専門家の発言がAERAに載っていました。いい加減な発言、嘘です。

家庭、家族という概念が崩れ、未婚の母から生まれる確率が半数近くになっている国々では常識、と言うべきでしょう。母子分離をしないと経済が機能しない、「子ども優先」という本来の「子育て」の姿ではなくなっているのです。

そういう国々が選択した政府による母子分離は、同時に親心の喪失でもありました。その結果が、日本の二十倍から三十倍という犯罪率になって現れている。未婚の母の低年齢化が進み、「家族」という定義が完全に空回りしている。

日本の「今」は、欧米の六十年前の状況でしょうか。だからこそ、欧米を真似してはいけない。

加えて、まだ、保育園という制度を人々がほぼ体験していない「海外」が半数以上ある。この専門家が都合よく使っている「海外」から、州によって状況が全く異なる米国や発展途上国を除外して考えないと、悪質なフェイクニュース(偽情報)になる。

簡単に「海外では常識」と載せてしまうマスコミがいい加減すぎるのです。「意図的」な報道と疑いたくなる。それによって、保育界と学校現場が追い込まれ、壊れていく。

 

選択肢のない、主張できない幼児たちにとって不当な、社会学者や専門家による提言を「進歩」のように報道するマスコミ。「ママがいい!」という、幼児たちの願いは、いよいよ四面楚歌になっています。

「11時間保育を標準」とした閣議決定と、保育はパートで繋いでもいいという規制緩和が加わって、保育の質の低下はすでに直接学級崩壊に連鎖している。保幼小連携などと、机上の空論を学者が言っているうちに、親たちの責任転嫁、園に対する要求はますます激しくなり、教師不足がもう止められない。

水増し受給で、計画的に補助金を不正受給する保育「業者」が後を絶たないのです。

確信犯的な業者の参入で、子どもたちの日々と、税金がその餌食になる。私は、保育園を「業者」と呼びたくはなかった。しかし「保育は成長産業」という閣議決定が、こういう事態を招いてしまった。主導権を握っていると思っていた政府や行政が、補助金に群がる「業者」に手玉に取られている。

そして、イライラすれば預ければいい、という人類未体験の「共通理解」が広まっている。

業者には煩わしかった、「ママがいい!」という言葉が、親たちにとっても、煩わしくなり始めている。

「不正は氷山の一角?職員不足で実地検査回らず」

https://www.tokyo-np.co.jp/article/190872

「国や自治体が運営費を支給する認可保育所は原則、都道府県による年1回以上の実地検査が義務付けられている。だが東京都が実地検査を行ったのは、約3000施設ある認可保育所のうち2019年度で8・0%、コロナ禍の20年度は4・3%にとどまった。担当職員の不足などが原因とされる。区市町村にも実地検査の権限はあるが、今回の不正発覚の端緒になった豊島区でも2年に1回程度という。」

保育界における倫理観の低下は、子どもたちの日常、一家の人生、学校教育の存続に直接影響します。「担当職員不足で実地検査回らず」など、まったく言い訳にならない。保育の重要性を理解していないから、担当職員を増やさなかったのでしょう。国の保育施策、「子育て安心プラン」と同じです。経済優先の「受け皿」の拡大に引きずられ、児童虐待過去最多、不登校児童過去最多、引きこもり過去最多、という事態を引き起こして、今になってこども家庭庁などを作ってオロオロしている。子どもの意見を聞く、などと言っても、出発点にある「ママがいい!」という幼児の叫び、すすり泣き、「意見」を無視しておいて、やったフリでこれ以上誤魔化すな、と言いたい。

大人たちの権利、平等意識に煽られて、子どもたちに逃げ場が無くなっているのです。

1歳2歳で噛みつく子が増え、教師が止められるはずのいじめが小学校で止まらなくなっているのも、保育の質の低下と、親の意識の変化が、その延長線上にある。

こども家庭庁は、不適切保育をなくすためのガイドラインで、 「児童福祉施設の職員は、児童の心身に有害な影響を与 える行為をしてはならない」「子どもに精神的苦痛を与えることがないよう、子どもの人格を尊重するとともに、子どもが権利の主体であるという認識をもって保育に当たらなければならない」と通達を出しました。11時間保育を国が標準と名付け奨励することは、児童の心身に有害な影響を与 える行為であって、子どもの権利と人格を尊重していない、という意識がない。現場に対する説得力がないのです。

それに、異次元の少子化対策の看板施策「こども誰でも通園制度」で拍車がかかる。

保育士不足と保育界の倫理観がこれほど下がっている状況で、なんて馬鹿げたことをやろうとしているのか。「ママがいい!」という言葉を尊重し、母子分離政策を辞めない限り、このままでは、政治家たちの集票施策、選挙対策で、学校という仕組みまで壊されていく。

人間が寂しいときに一番頼りにできる人たち、幼児たちとの時間が市場原理と選挙対策によって奪われていく。

二歳児が隣に居てくれれば、人間は、無敵だったのに。

学校の教育など、私の学びの邪魔にはならない、とマーク・トウェインは言いました。

人間は誰から何を学ぶのか、考えた方がいい。

0、1、2歳児を育てていると、人間は言葉を知らなくても、文字を知らなくても、生きられることに気づく。一人でご飯を食べられなくても、生きられたことに気づく。

母がいてくれれば、それで足りていた。むしろ、幸せだったことに気づく。

この気づきが、土台になければ社会は成り立たない。慣らし保育における「ママがいい!」という叫びと、すすり泣きは、人類への警告なのです。

(ブログは:https://kazu-matsui.jp/diary2/、ツイッターは:@kazu_matsui。「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。簡単に手に入る相談相手の育て方、絆を作る選択肢が書いてあります。よろしくお願いいたします。)

 

 

一般公開している講演会は少ないのですが、時々あります。上越市の講演会は、午前中に私の作ったインドのドキュメンタリー映画の上映会もあります。多分、演奏付きです。無料です。応募受付け開始が6月23日からです。ご注意ください。

上越市での「講演会と上映会のお知らせ」

「講演会と上映会のお知らせ」です

一般向け、というか、講演の内容は大体同じなんですが、7月29日に、新潟の上越市で上映会と組み合わせた講演会があります。

 

企画・運営は、「自然な出産と母乳育児を考える会」。小さな会ですが、助産師さんを中心に、もう私の講演を主催するのは四回目。こういう人たちが人間社会を守るんだ、という独特な気合いを持った人たちで、今年は、私の作ったドキュメンタリー映画「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」の上映会を午前中にやって、午後は通常の講演会です。質疑応答の時間もたっぷりとってあります。

上映会は、監督(私)の解説付きです。ひょっとすると演奏付きです。無料です。講演会も。

 

私が自主制作したこの作品は、第41回ワールドフェスト・ヒューストン国際映画祭、長編ドキュメンタリー部門で金賞を受賞しました。

見てもらった絵本画家の安野光雅先生から、こんな評をいただきました。(安野先生は、私の小学校の工作の先生で、編集者の父と共に50年以上お付き合いいただきました。)

 

「不要な会話がなかった、ひとことも聞き漏らすまいというふんいきが生まれていた」

「目の中に祈りを感じました」

「挿入された、一見関係のなさそうなシーンは、『詩』のように心に響きました」

 

この「評」は嬉しかった。

ナレーションのないドキュメンタリーで、映像と音楽(私のアルバムから)と字幕で通すのですが、ダリット(不可触民)と女性の人権の為に闘う修道女の話です。

ダリットに対する差別の問題は、論理性を超えた人間の狂気のような部分があって、私が理屈で立ち入れることではないのですが、その、踊る姿が、美しい。そこに、何かに守られた「強さ」がある。

ただ感性を研ぎ澄ませて、そこで観たものを表現するしかありませんでした。

シスターに出会わなかったら、私は「映画」を作ることなど無かったはず。縁は、不思議な道筋を示します。この縁を、生かしておきたい。

ぜひ、いらして、一緒に風景に触れてみてください。

 

児童文学と共に、インドの風景は私の考える基点です。そのあたりのこと。なかなか興味深い話をすると思います。

貧しき者は幸いなれ、という、不思議なメッセージが、インドの村から伝わってきます。

私がシスターに「幸せとは?」と尋ねると、シスターは一瞬間を置いて、「集まること(Coming together)」と答えました。最後のインタビューで、それに「分かち合うこと(to share)」が加わります。

時々、その次元にまで戻らないと、道筋が見えなくなる。

ちなみに、シスターと私は同い年、です。

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「みてきいて考える  いのちを支える絆」

7月29日、上越市市民プラザ、

午前、「シスターチャンドラとシャクティの踊り手たち」上映会と松居和監督トーク付き、午後、講演会

参加無料、定員、各40人

受付開始は、6月23日(金)です。

<申込み・問合せ>ウィズじょうえつ

(上越市男女共同参画推進センター)

〒943-0821 上越市土橋 2554

上越市市民プラザ2階

TEL/025-527-3624 FAX/025-522-8240

E-mail/d-sankaku@city.joetsu.lg.jp

受付時間:平日8:30~17:15(土・日・祝・市民プラザ休館日(第3水曜日)を除く)

 

(講演会もですが、この映画の上映会開催に興味がある方、ぜひ、matsuikazu6@gmail.com まで、ご連絡ください。今も、シスターのミッションと繋がっています。よろしくお願いします。)

 

 

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もう一つ、一般に開いた講演会のお知らせです。

もう一つ、一般に開いた講演会のお知らせです。

7/13:王滝村立王滝小学校体育館(長野県)で久しぶりに講演します。とても良い所です。ぜひ、お越しください。

【問合せ・申込先】

長野県生涯学習推進センター(担当)望月

TEL: 0263-53-8822

〒399-0711 塩尻市大字片丘字南唐沢6342-4 FAX:0263-53-8825:

E-mail:shogaigakushu@pref.naganolg.jp