一昨日の「親心をはぐくむ会」で、園長先生たちから教わったこと。もう一つ。
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来日公演に備えて
チラシを配っています。
面白い話が一人の園長先生から出ました。
それは、「どうぞのイス」というのです。朝霞にあるその園には外の私道のところに「どうぞのイス」と書いてあるベンチが置いてあって、だれでもどうぞご自由にお座りください、という風になっているそうです。
そこに来て時々半日座っているおばあさんが「子どもの声を聞いているだけで、園庭を眺めているだけで、生きてる気になる。幸せになる」と言うそうです。
座ってタバコを吸っていた高校生が、園長にしかられたりするそうです。
これは、とてもいいな、と「はぐくむ会の」みんなで思いました。
日本中すべての幼稚園保育園に「どうぞのイス」があったらいいですね、と園長先生たちと盛り上がりました。幼児を眺めて社会が成り立つ、人間たちの心が一つになる、と私は常日頃、もう23年も、言ったり書いたりしているのですが、その象徴のようなイスだ、と思いました。園と家庭の橋渡しになるような気がします。園児の家族だけでなく、他の人々も含まれます。幼児はそうやって、人間社会に人間性を与えるのです。「どうぞのイス」は、社会はこうあって欲しいというヒントを私たちに与え、ビジョンを示すのだと思います。
シャクティ2009日本公演
今日は、タミルナードのシャクティセンターでお祭りです。招待を受けていた私は、日本で来日公演の準備をしています。
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インドという国が私の思考の原点にあって、二〇歳のときに一年余り過ごした体験が親心や保育の問題を考えるとき、蘇ってきます。
子どもを預かる「保育」は「子育て」です。他人が国家的な仕組みの中で他人の子どもを育てる、という人類が経験したことのない「新しい子育て」の形です。だからこそインドの風景を思い出し、当たり前のように先進国社会が受け入れている学校や幼稚園・保育園を、人間が何千年もやってきた子育ての風景に照らしあわせます。
去年インドのダリット(不可触民)の女性の地位向上と人権問題で、仕組みと闘う修道女のドキュメンタリー映画を四年がかりで完成させました。「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」といいます。
南インドのタミルナード州で、ダリットの少女たちを集め、裁縫や読み書き、権利意識について教えているカソリックの修道女が、彼女たちにダンスを教え、カーストや女性差別反対のための公演をしている。それが素晴らしいという友人の話に引き寄せられ、三〇年ぶりに私は懐かしいインドへ戻って行きました。
インドはやはりインドでした。空気中に漂う先進国が失ってしまった「何か」、言葉では表わしにくいのですが、私はその「何か」を感じると、少し落ち着きます。大地や時間との一体感、人間の意識が時空を超えることができるという感触、大きなものに包まれている感じです。ヒンドゥー教の影響でしょうか。インドはとてもバーチャル(仮想)な世界です。仮想現実が人々の生活に生きています。そして人々をつなげています。
インドへ戻った最初の夜、電気を消して眠りに入ろうとすると、窓の外で野良犬が吠えているのが聞こえました。
その瞬間、私はさっき考えていた「何か」を見た気がしました。インドの野良犬は飼い主のいないれっきとした野良犬。痩せて皮膚病や咬み傷のあとがあって、ぶらぶらと人々の日常の隙間で暮らしています。人間の意志とは関係ないところで生きているようです。犬には犬の次元があって、人間の営みの間を縫うような動きです。吠える声から連想したのは、闇の中を動き回る彼らの自由でした。小走りに走る足音。それが、私のいる空間にもう一つ別の次元を加えるのです。思いどおりにならない次元を……。先進国に住んでいると忘れている現実が五感に甦ってくるのは、私がまだ太古の記憶をDNAの中に持っているからでしょうか。
ダリットの少女たちのダンスの美しさ、強さ、潔さに魅了されテープを回し、話を聞き、カースト制がいかに人々を抑圧差別しているかを教わりました。最下層の娘と結婚しようとした男が兄弟に殺されるような事件がいまだに起こります。カースト内の人に出すコップでダリットにお茶を出したお茶屋さんが、焼き討ちにあったりします。
しかし、私が出会ったダンサーたちは美しかった。「ダンスの素晴らしさ」から「カーストの問題」へとテーマがシフトしかけていた私の気持ちは、踊り手たちと親しくなるにつれ、「絆」の方に向いていきました。少女たちの村に招待されてその世界に入って行くことによって、再度「人間の美しさ……」に引き寄せられました。
先進国社会において、大自然の作った秩序と人間の作った秩序が闘っています。本来次元の異なる、住み分けや交流ができるはずのものが闘い始めている。それが伝わる映像を目指しました。
踊り手の一人モルゲスワリの村で、彼女の両親にインタビューしました。自分たちがヒンドゥー教徒であることも、アメリカや日本という国が地球上にあることも知らない二人でした。両親は季節労働者で、モルゲスワリの妹が紡績工場で働く一八〇円の日当が一家の生活を支えていました。
「夢はなんですか?」とインタビューの最後に聞いてみました。
「子どもたちが結婚して家庭を持つこと」とお母さんが答えました。
モルゲスワリと妹に、「あなたたちが結婚することで働き手がいなくなります。ダウリ(持参金)が必要になり、両親が一生かかっても返せない借金を背負うと知っていて、結婚を躊躇しませんか?」と聞いてみました。二人は笑って「しません」と答えました。「それを両親が望んでいるのですから」。
親が子どもの幸せを願い、子どもが親の望みをかなえようとする、人間社会の幸福感の基本は、踊り手たちの風景の中で確かに受け継がれていました。女性によって受け継がれていました。そして、映像に映し出されてくる彼女たちの顔は、不幸そうではありませんでした。
シスター・チャンドラは「幸せとは?」という私の質問に、「集まること」と答えました。 そして、最後のインタビューで、村人の美しさは「わかちあうことからきている。私はそこに神を見る」と言いました。私は日本でこの二つの言葉を繰り返します。「集まること」そして「わかちあうこと」。人間の進むべき道があるのだとしたら、この二つの言葉を幸せのものさしにして進まなければいけない、と思うのです。
一人で撮って初めて編集した「シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち」は、春に第四一回ヒューストン国際映画祭の長編ドキュメンタリー部門で金賞を受賞しました。宗教や制度を越えた普遍的なテーマを、審査員の方々が感じ取ってくれたのだと思います。宗教間の違いを乗り越え理解を深めるという主旨で行われる、イタリアの国際宗教映画祭の招待作品にもなりました。映像でなければ伝わらない風景、顔。音楽でなければ伝わらない次元。祈りの世界には言葉では表せない部分がたくさんあります。出会いと絆を創造するために、この映像があってほしい、と思います。
この映画のDVDを、私が委員をしている埼玉県の教育局の人たちに見てもらいました。すると、いままで私が委員会でしてきた発言に、不思議な実感が伴うらしいのです。インドの野良犬が私に伝える「何か」が、映像や音楽を通して、教育局の人たちにも伝わるのかもしれません。
映像の中にシャクティセンターに向かう村の子どもたちの姿がでてきます
「ああ、こういう子どもたちに教えることが出来たら幸せだろうな」と誰にも思わせる学校の原点が子どもたちの表情の中にあります。教える事で先生たちが幸せを感じる、教える側の幸福感を基盤に、本来、伝承は成り立っていくのです。子どもたちが、教え手を育てる、それが親子関係の本質ですから。シャクティセンターに向かうあの子たちのように、明るく、潔く、堂々とした表情が、そして草原を並んで歩く風景が、学校に命を吹き込むのです。
シャクティセンターで子どもたちを待つ先生たちはあのダンサーたちです。教職の免状もなければ教え方を教わった娘たちでもありません。それなのに、たった8日間のサマーキャンプから生まれる「美」。家族、村、そしてシャクティセンターを包み込む人間たちの「信頼関係」が、たった8日間のサマーキャンプに、「真の学校」を映し出すのだと思います。
そして、不思議なのは、シャクティセンターのサマーキャンプは、読み書きや人権の真ん中に「踊ること」があるのです。教えることの中心に「和」があるのです。
日本の学校も、一日一時間必ずみんなで輪になって踊る。そんな方向に教育改革が出来たら、きっと日本は、昔のように絆で結ばれた美しい社会に戻るのだと思います。
決して不可能なことではないのです。そういう視点を取り戻せないほどに、感性が鈍ってしまっているだけです。人間がシステムを作っているうちに、いつの間にか、システムが人間を作るようになってしまったのです。
堀内誠一展/世田谷文学館
お知らせ。
2009 シャクティ再来日公演 決定!!!
ずいぶん、長くブログを書いていませんでした。
10月30日 (金) 19時開演 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
さいたま市中央区上峰3-15. TEL, 048-858-5500
入場料2,500円(全席指定)
10月31日 (土) 19時開演 東京ウィメンズプラザ
東京都渋谷区神宮前5-53-67 TEL 03-5467-1711(代)
入場料3,000円(全席指定)
2009年11月2日(月)18:30開演 千葉市蘇我勤労市民プラザ?
千葉県千葉市中央区今井1-14-2 TEL 043-266-5504?? FAX 043-268-8934
入場料2,000円(全席自由)
11月3日 (火) 19時開演 杉並公会堂 大ホール
東京都杉並区上荻1-23-15. TEL:03-3220-0401
入場料3,000円(全席指定)
お問い合わせ/ロード・プロモーション TEL 043-293-2828 mail@roadpromotion.net
http://www.roadpromotion.net http://Sakthi.luci.jp
8月25日より 電子チケットぴあ pia.jp/t 0570-02-9999にて発売開始
【Pコード】 397–950
追伸:もうすぐ刷り上がる今回のチラシとポスターは、画家の馬場敬一君がデザインしてくれました。私の「ドリームウォーク」という絵本を一緒に作った彼の個展が、8月12日から三鷹市芸術文化センターで始まります。
日本体育大学の先生へのメール
日本体育大学の先生から、シャクティの映像を授業に使いたいというメールをいただきました。嬉しい限りです。
ありがとうございます。学生たちが、シャクティの風景から様々なことを感じてくれれば、それこそ作った甲斐があるというものです。
私もシャクティの踊り手たちから学ぶことがたくさんあります。
学校教育の中で考えますと、たとえば毎朝20分でいいから小学生中学生が輪になって踊る、というようなことが全国の学校で実践されれば、それだけで日本という国が変わるのではないかと思います。シスターがドキュメンタリーの中で言っている、人間が円になって踊ることの意味、心を一つにすること、そして平等を感じること、それがいま先進国社会の教育に一番大切なことではないかと思います。
日本全国すべての学校で毎朝、同時に輪になって踊るという実感が、時空を超えた人間の「絆」をつくるのではないかと思います。魂の次元の交流と言っていいかもしれません。こうした行動とその役割を、例えばイスラム教の人たちが一定の時刻に同じ動作をするという祈りの形と、文化人類学的に重ねあわせてみると、「祈り」を意識的に排除してしまった現在の学校に、それに代わるものとして「踊り」を取り入れることは、単純で、誰にでも出来て最も効果的なのではないでしょうか。イデオロギーを越えて、人間たちの「心を一つにしたい」「信じ合いたい」「頼り合いたい」という幸福に向けた遺伝子情報に沿った新しい形の教育を「創造」できるのでないか、と思ったりします。不登校やいじめもずいぶん減るのではないかと思います。先生たちも元気になるはずです。
いままで、教育はあまりにも経済論の中で語られてきました。これからは、もっと幸福論の中で語られるようにならなければいけないと思います。
スポーツも実は人間が心を一つにしたがっていることの現れです。オリンピックで遠いギリシャから「火」を運んで来て聖火台に灯す。それを世界中の人間が見ている。人間は不思議なことをやる、と感心します。それもすべて、いつか心を一つにしたい、という太古の遺伝子情報がそうさせるのでしょう。この心を一つにしたい、という思いが、競争して勝ちたいという思いよりもずっと古い幸福のものさしであったことを思い出さなければなりません。それを子どもたちに伝えなくてはなりません。
シャクティの映像の中にある、太古からの様々なメッセージが、いま、これからの教育を考える上で大切になってくるような気がします。太古の幸福論をいまの教育に取り戻し、「集まること」そして「わかちあうこと」この二つのメッセージが今の日本に生き返ってくれることを願っています。
映像の中に出てくる、第一回のサマーキャンプに向かう子どもたちの姿には、「ああ、こういう子どもたちに教えることが出来たら、先生は幸せだろうな」と感じさせる、学校の原点があるように思います。
教える事で先生たちが幸せを感じる、教える側の幸福感を基盤に、本来、伝承は成り立っていくのです。子どもたちが、教え手を育てる、幸せにする、それが親子関係の本質です。
シャクティセンターに向かうあの子たちのように、明るく、潔く、堂々とした表情が、そして草原を並んで歩く風景が、学校に命を吹き込むのです。
シャクティセンターの「先生たち」は、ついこの間村の子どもたちだった踊り手たちです。教職の免状もなければ教え方を教わった娘たちでもありません。それなのに、たった8日間のサマーキャンプから生まれる「美」。家族、村、そしてシャクティセンターを包み込む人間たちの「信頼関係」が、たった8日間のサマーキャンプに、「真の学校」を映し出すのだと思います。
そして、不思議なのは、シャクティセンターのサマーキャンプは、読み書きや人権の真ん中に「踊ること」があるのです。教えることの中心に「和」があるのです。
和
渋谷のタワーレコードに現れた特設コーナー。

アメリカからの返信と、私の返信
松居 和様、
お忙しい中、こんなに早くお便りを送ってくださり、大変有難うございます。とても嬉しく読ませていただきました。
シャクティのビデオを送ってくださるということ、感謝します。来学期、学生に是非見せたいと思います。どういうディスカッションが出てくるか、とても楽しみです。又、先日の私のメールの中に何かあれば、もちろん、シャクティ日記に引用してくださってかまいません。
先進国社会ということで思うのは、アジアではありませんが、最近行っていたポーランドのことです。そこの学生と仕事をする機会があったのですが、このポンコツの車に乗っている(車のある人は少ない)貧乏学生達の口からは「soul」という言葉がさらっと出てきて、この言葉はアメリカの自分の教えている学生からはでてこないなと思いました。しかし、やはり先進国社会の影響は押し寄せてきていて、失われていくものを間のあたりにしながら複雑な思いでした。(古い工場が、経済を支える為のに大きなモールに建て変えられたり。。。しかし製品の値段はポーランド人の収入に見合うものではなく、誰が買うのだろう?と聞くと、西ヨーロッパから来るリッチな人ということでした)グローバリゼーションすなわちアメリカナイゼーションが進んでいく中で、世界はどうなっていくのだろう?と不安です。又、こういう状況下で、アメリカに居る日本人の私にできることはどういうことなんだろう?という大きな疑問にも面しています。
踊りはどう呼んだらいいかわからない踊りなのですが(小笑)、師と仰いでいる人は田中泯さんです。
ピナバウシュも「人がどう動くかではなく、何が人を動かすか」と言っていましたが、「どうして踊るのか」ということを最近ずっと考えています。
シャクティ日記の中に、踊り手達が浦和の幼稚園に行って、園児達と踊った時、感動していたとありました。踊るのは、芸術や意味のある目的というものを超えて、もっと深いところで、最も身近なところで、つながりを感じていたいからかもしれません。
お便り、本当に有難うございました。ビデオを楽しみに待っています。
敬具
N.M
私の返信
ポーランド人の口からこぼれた「Soul」という言葉、新鮮だったでしょうね。この言葉、アメリカでは、もう、なんて空虚に響くのでしょう。アメリカの「Soul」はすっかり商業主義の手垢がついてしまいましたね。経済論とは対局にある言葉ですからね。
本物を追い求めたら、たぶん南アフリカあたりまで行かないと、Streetで生きているジャズもソウルも見つからないかもしれませんね。
『ピナバウシュも「人がどう動くかではなく、何が人を動かすか」と言っていましたが、「どうして踊るのか」ということを最近ずっと考えています。』
良い言葉ですね。バウシュは私もむかし東京で見ました。稀代のプロデューサーでしょうね。この感覚、あの空間を見るとわかります。頭が先行せずに結果を意識せず、場を提供すれば自然に事は成る、という演出の原点ですね。
この言葉、教育局の人たち喜ぶかもしれない。学校教育は演出ですよね。場を作る、すると、ちゃんと子どもたちが先生を育て、幸せにしてくれる、というわけです。
和
いただいたメール/アメリカから
松居 和様、
初めてお便り致します。NYの本屋さんでクロワッサン
を見つけて読んでいたら、シスターチャンドラさんの
記事に目がとまりました。自分は踊りをやっている者
で踊りの根源ということをずっと考えているので、
シャクティのダンサーについてもっと知りたいとウエ
ブサーチをしていると、松居先生のサイトに行き当た
り、シャクティの映画のみならず、原稿集まで、一気
に読んでしまいました。アメリカと日本の教育システ
ムの違い、家庭、教育、社会の崩壊のことや、自然か
らの?離など、普段考えていることを、より深く考え
る機会となりました。教育システムに関しては、私自
身も複雑な思いがあります。日本で大学院まで行っ
て、その後、アメリカの大学院に行き、現在アメリカ
の大学、及び大学院で教えているので、アメリカのシ
ステムに得るところも多いのですが、(常に受験の為
に競争しなければいけなかった日本の中学、高校、全
く真面目に教育しているとは思えない大学の教育に愛
想をつかしてアメリカに行ったので)先生の原稿を読
んでいると、あー日本の幼稚園って(保育園には行き
ませんでしたので、幼稚園が最初の学校でした)、学
校の中で一番楽しかったなーと、園長先生の顔が浮か
んできました。(何十年もたった今でもはっきり覚え
ているのです!)究極的には、’教育’とは何かとい
うところにいつも行き当たります。自分の人生で一番
深く学んだと思える経験は学校の中ではありませんで
したし。時には、学校という機関が持つ様々な「枠」
が本当に学ぶということを難しくしているのではない
かと思います。
先生もアメリカの大学に行かれたので、ご存知だと思
いますが、私の生徒は大体各クラスに半分くらいが両
親が離婚しています。又、生徒をずっと見ている
と、’分離’状態が年々ひどくなってきている気がし
ます。人からの分離、自分自身からの分離、回りの環
境からの分離と、私の教えている’演劇’にとって
は、この状況は致命的です。ものを見て、聞いて、感
じて、と言っている自分も車とコンピューター社会で
自然や古いものからだんだん遠くなっていく日常で
す。あせりを感じて、自転車通勤してみたり、とにか
く不便な方向へと生活をもって行こうと、ささやかな
抵抗を試みてはいますが。。。
キャリアを持ち、家庭を持たない身では、「保育」と
いうのは縁遠いことのように思えたのですが、先生の
原稿の中の、「上の人が教育方針に対して理解せずに
決めてしまうのは現場を経験しないから」というのに
は大変同調できました。大学でも同じことで、不景気
の中、とにかくできるだけ多くの生徒を1クラスに詰
め込んで、先生は同じ給料でできるだけ多くの数のク
ラスを教え、できるだけ早く卒業させることを第一目
標として掲げているのには、驚きます。まるで学校が
工場になってしまったみたいで、「対人間」というの
を全く無視しているなーと感じます。これだったら、
先生は真面目じゃなかったけど、時間がゆったりし
て、留年したり、こっちに迷ったりあっちに迷ったり
しながら卒業していく日本の大学の方がオーガニック
なのかな?と思ってみたり。。
まとまりのない文章になってしまって申し訳ありませ
ん。先生の『家庭崩壊 学級崩壊 学校崩壊』を是非
読んでみたいです。この本は日本のアマゾンで入手可
能かと思うのですが、『シャクティ』のビデオはどこ
で見つけられるのでしょうか?
大変お忙しい中、読んでくださり、有難うございまし
た。いつかお返事がいただければ、とても嬉しいで
す。
敬具? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? 2009年1月6日
私の返信
アメリカの大学が工場のようだ、というのは本当ですね。アメリカでいま、社会で通用するだけの読み書きが出来ない教師が問題になっているのも、卒業させないとお金にならない、という経営主体の学校が多いからですね。日本も最近それに近くなってきていますが、子育てのビジネス化が絆の本質を変えていっているのですね。
「これだったら、先生は真面目じゃなかったけど、時間がゆったりして、留年したり、こっちに迷ったりあっちに迷ったりしながら卒業していく日本の大学の方がオーガニックなのかな?と思ってみたり。」
という感想は、肌で感じたものでなければわからない非常に感覚的な感想で、とてもよくわかります。所詮、学問は、人類何十万年の積み重ね遺伝子情報の表層の部分でしかないんですよね。もっと、根源的なところ感覚的なところで、人間は、何かおかしい、と思いますからね。
踊りをやっているのですね。民族舞踊ですか?
ドキュメンタリーの中に「人はなぜ踊るのか」という言葉が出てきます。
不思議ですね。
クロワッサンに感謝です。
和