さいたま劇術劇場と青山のウィメンズプラザ2公演のチケットぴあでの取り扱いは終わりましたが、当日券あります。杉並公会堂と千葉蘇我での公演はもう2日間チケットぴあで扱います。まだまだ集まってくれる人がどこかにいるはずです。ぜひロードプロモーションに問い合わせるか、当日いらして下さい。
未分類
シャクティもう、来ています。
シャクティの娘たちが日本に来ています。
チェンナイ空港出発です。
いま、シスターと電話で話しました。チェンナイ空港でチェックインしています。大変でしたが、いよいよ来ます。合宿所、我々はシャクティハウスと呼ぶ事にしました。きょう久我山応援団が掃除をし、布団を運び込みました。
最後の追い込み
結構大変です。ブログを書くのが遅くて申し訳ありません。
野菜集め
シャクティの来日
シャクティの来日が近づいて来ると、講演などでシャクティの話をしてしまうことがあります。いままでも時々、私がシャクティの娘たちとその風景から学んだことを講演で話すことはありました。近著「なぜ私たちは0才児を授かるのか」(国書刊行会)にも2章ほど割いて書きました。
青山学院のCチャペルで
10月27日、青山学院大学相模原キャンパスのチャペルでシスターがお祈りをし、お話をし、シャクティの娘たちが踊ります。その打ち合わせに伊藤先生に会いに行ってきました。青山にある青山学院は、私も保育関係の先生たちに講演をしたこともあり、母の母校でもあるので知っていましたが、相模原キャンパスがこれほどの物と知らなかったのでちょっと感激でした。広く美しく、調和の感じられる整った静かなキャンパスでした。
もう、一ヶ月切りました。
インドから帰って、2日後に新潟国体の開会式で埼玉県選手団と一緒に行進し、ずっと昔中学校で習った「若い力」を合唱しました。こんなことでちょっと涙が出そうになります。スタジアム全体が歌うことで心を一つにする感じが、今の私にはいいのです。そのあとの会で、皇后様と少しだけお話することが出来ました。
待っている人たち
明日、シャクティから離れます。
今回、シャクティの娘たちは、暇があれば紙漉きをしていました。
私の友人がシャクティの作るバナナの紙がカリグラフィーにいいと言って注文したからです。紙が作られる行程を一日見ていると、ゆっくり流れる時間が立体的に見えてきます。太陽も手伝って、温もりが紙に沁みていくのが感じられます。焦りがないのです。
センターに居ると、シャクティの娘たちが、待っている人たちのような気がしてきます。何かが起こるのを待っている、待っていると起こる。そして、信頼があれば、それはきっと良いことで、絆があればいつか必ず安心につながる。だから待って、待ちながら、時々踊る。
すると、すべてが回り始める。大きく一体になって、輪になって踊りが始まる。
トールキンが「指輪物語」で表現したホビット族が尊重する社会の安心感かもしれません。力と欲の黒い影から世の中を守るのは、こうした人たちの日々の営みと楽しみだと言いたかったのだと思います。

セルバとモルゲスワリを訪問
ソウバさんの車が直って、セルバとモルゲスワリの家へ出かけました。田舎道を車で一時間、美しい田園風景の中に一軒家がありました。「あそこだ」とソウバさんが車を止めて指差しました。私は、あわててカメラをバッグから出しました。
三脚を持って、少し手間取っている間に、ソウバさんとシスターはあぜ道を先に歩いて行きます。その後ろ姿を撮っていると、ファインダーの中に小さくセルバが見えました。私は、思わず手を振りました。
セルバの息子は3才になっていました。ご主人はハンサムで誠実そうな人でした。ご主人の両親とご主人の弟夫婦とその一歳の息子と、セルバは屋上のある小さな石の家に暮らしていました。まわりには、ネギの畑とぶどう畑がありました。褐色の土と青い空、緑の林、そのコントラストの中にセルバは生きていました。彼女はやっぱり黒系の服を着ていました。そして、踊っていた時よりも少しだけ太って、普通の感じがしました。その温かさが3才の息子を包み込んでいました。記念写真を撮りました。(日本に帰ったら、この記事につけますね。)

そこから、30分ほどディンディガルの方向へ戻ったところにモルゲスワリの家がありました。道ばたの小さな村の大きな木の下に彼女は住んでいました。
セルバと違って、モルゲスワリは結婚しないで、もう少し長くシャクティに居たがっていたのを私は知っていました。ですから、少し心配していましたが、モルゲスワリは二人目の子をお腹に宿し、娘と二人で小さな家に住んでいました。ご主人は出稼ぎに出ることが多く、この日も居ませんでした。でも、モルゲスワリが退屈しないよう、衛星放送が見れるよう家にはフライパンのようなアンテナが屋根についていました。玄関外の雨にさらされた貧弱な釜戸と比べるとちょっとちぐはぐなアンテナが、一家の確かさを示して嬉しそうでした。
私は、ドキュメンタリーの中で、彼女の母親が、女の子にはテレビは見せません、と確信を持って語っていたのを思い出しました。
モルゲスワリの娘は、やんちゃで暴れん坊でした。はにかみ屋で物静かな母親は、それでもちゃんと目で、一つ所にじっとしていない娘を笑いながら追っています。
片足をひもで木に結わえられたアヒルに、娘がちょっと意地悪をしました。モルゲスワリが、すみません、というようにシスターを見ました。シスターが声を出して笑い、ソウバさんと私も娘を眺めながら楽しい時間を過ごしました。
(日本に帰ったら、このやんちゃ娘の写真をこの記事に載せます。)
言葉の通じない時間が、ゆっくりと過ぎてゆきます。言葉がわからないから、繊細になる感覚の中で、私は考えます。0才児や1才児との言葉のない会話の意味を。何かを知ることよりも、知ろうとすることが体験であることを。